エボラ特集5:検証、シエラレオネの悲惨な現実

世界報道写真賞を受賞した写真家が動画とともに振り返る

2015.04.15
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西アフリカでは2014年より2万5000人以上がエボラ出血熱と診断され、1万人以上が死亡している(4月8日時点、WHO 調べ)。ケニアのナイロビを本拠地に活動する写真家のピート・ミュラー氏は、その現状を世界に伝えたいと思い、2014年にシエラレオネを2度訪問した。これまで数々の戦場や災害の現場を渡り歩いてきたミュラー氏だったが、今回シエラレオネで遭遇したこの場面は、もう2度と目にしたくはないと思わせる悲惨な現実だった。5回シリーズの最終回。
■第1回 シエラレオネはなぜ無防備だった?
■第2回 秘密集団を止められるのは首長だけ
■第3回 「伝統の埋葬」が蔓延を助長した
■第4回 「エボラ孤児」1万人の行方

シエラレオネへ行くことに不安はありませんでしたか?

 初めて取材の話があった時、エボラに関する知識はほとんどありませんでした。なので、数日間資料を読み、どうすると感染するのか、どうすれば感染を防げるのか、そして、実際に行ってみたら何を経験するのかを、なるべく具体的にイメージするように努めました。

最終的にシエラレオネ行きを決断させたこととは?

 1976年にエボラウイルスを発見したピーター・ピオット医師のインタビューを読んだのですが(医者であり微生物学者のピオット氏は、エボラウイルス研究の第一人者である)、その中で、「エボラ感染者が地下鉄で隣の席に座ったとしても、自分の上に嘔吐さえしなければ何も心配する必要はない」と答えていたんです。エボラウイルスを知り尽くしているピオット氏がそう言うのなら、と少し安心しました。

シエラレオネのディア村で、エボラ出血熱により死亡したと思われる女性からサンプルを採取する赤十字の埋葬作業員。エボラ犠牲者の遺体は極めて強力な感染源であるため、女性の遺体は厳しい安全処置を施して埋葬された。(Photograph by Pete Muller, Prime for the Washington Post)
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感染から身を守るために、ゴム長靴や防護服、塩素錠剤などを持参したそうですが、それで十分だと思いましたか?

 とにかく、誰にも触らないこと、誰にも自分やカメラを触らせないよう徹底することです。

2度目の取材で前回と何か変わったことは?

 最初に訪れた8月には、エボラがすべてを飲みつくしてしまうのではないかという不気味な空気が漂っていました。外国人は皆国外へ逃げ、ホテルは空室だらけ。とても孤独感を覚えました。2月に戻ったときは、フリータウン(シエラレオネの首都)の大手ホテルには、エボラ対策に関わっている人々が多く滞在しており、ある意味普段通りの姿に戻ったと感じました。

現地の人々はどうでしたか?

 国民は皆疲れきっていると思います。ホテルは閉鎖され、仕事はなく、観光業も大きく落ち込みました。人の移動はほとんどありません。けれども、日々の営みは続けられています。

エボラ治療施設で取材を行っていた時、精神に異常をきたした男性を目撃したそうですが、何があったのでしょうか?

 彼の症状は末期まで進行し、錯乱状態に陥っていました。隔離病棟を飛び出し、裏庭の塀をよじ登ろうとしていました。けれどもすぐに地面に倒れ、痙攣を起こしました。

そのエリアではスタッフは防護服を着けていなかったそうですが、誰か彼を助けようとした人はいたのですか?

 早く誰か防護服を着るよう全員が叫んでいました。土砂降りの雨の中、男性は地面に倒れて痙攣を起こし、あたりにはゴミを燃やした煙が立ち込めていました。胸が締め付けられるような光景でした。

男性はその後どうなったのでしょうか?

 しばらくして亡くなりました。翌朝にはもう亡くなっていましたね。

施設の運営に問題があったので逃げたのでしょうか?

 事件のあったヘイスティング治療施設のスタッフは、本当にすばらしい働きをされています。患者の生存率は、他の治療施設と比べてもかなり高いほうです。あの写真を見ると、施設の内部が制御不能に陥っているのではという印象を抱いてしまうかもしれませんが、決してそんなことはありません。ただ、エボラというものがどれほど恐ろしい症状をもたらす病気なのかをまざまざと伝えている1枚だと思っています。

シエラレオネのヘイスティング・エボラ治療センターで1人取り残されたモライ・カマラ君(推定年齢12歳)。家族をエボラ出血熱で失い、1人だけ回復したものの、いまだに胃の痛みがあり、歩行にも困難が残る。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)
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今回の取材では、エボラによって孤児となってしまった子どもたちを数多く撮影していますが、特に印象に残っている子どもはいますか?

 ヘイスティングへ戻った時、エボラから回復して退院する人たちのためにお祝いの会が開かれていました。そこに、12、3歳の男の子が1人で座っていました。その子の状況をスタッフに尋ねたところ、家族が全員死んでしまい、行くところがないのだと言いました。その後、彼は他の子どもたちと一緒に車に乗せられ、さらに治療を受けるために別の病院へ送られました。そこでの治療が終わったら、住む場所を見つけなければなりません。建物の外では、病気が治って家へ帰れることを喜ぶ人々でにぎわっていました。一方、室内ではこの男の子が1人だけで取り残されていました。彼もやはり生存はしたけれど、今度は全く別の大変な問題を抱えてしまったのです。

遺体の埋葬現場での様子はどうでしたか?

 亡くなった人はすべて、潜在的なエボラ患者として扱われていました。遺体や故人の持ち物に触れたり、どんな形でも葬儀を行うことは違法とされています。亡くなった人のまぶたを閉じるという行為は、世界共通のものなのでしょう。シエラレオネでも普通に行われていたことです。でも今では、それも含めてすべて禁止されています。

エボラの取材報告から、人々が学ぶべきこととは何でしょうか?

 西洋人にも感染者が出ていますが、その多くが生存したというニュースを見れば、エボラに感染しても助かることがお分かりいただけるでしょう。ある環境では治癒が可能なのに、場所が変わっただけでこれほど壊滅的な結果をもたらしてしまうとは、何とも痛ましい話です。西アフリカにも、米国のようなインフラが整っていたら、状況はどんなに変わっていたことでしょう。

また現地へ戻りたいと思いますか?

 もちろんです。次に行った時には、どのように流行が収束したか、病気から回復した人々はどうしているかなど、明るいニュースをお伝えできればと思っています。

シエラレオネの首都フリータウンで、エボラ感染が疑われている27歳男性の遺体を外へ運び出した後、遺族と友人が祈りをささげる。遺族らが最後の別れを告げる間、作業員たちは仕事を中断して見守る。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)
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文=Karen Weintraub/訳=ルーバー荒井ハンナ

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