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ナショナル ジオグラフィック日本版 2016年10月号

欧州の新しい顔

  • 「暮らしに不満はありません。良くしてもらっています」。2年前にシリアを脱出した16人家族の家長、88歳のアベド・ムハンマド・アル・ハデルはそう言いつつ、それでも祖国に帰りたいと打ち明ける。一家は2016年2月にベルリンに着き、1500人の難民とともに体育館に収容された。
  • 「私たちはここで育ち、暮らしていますが、私の心のふるさとはトルコです」と、後列の青い上着を着た34歳のアリ・テジメンは言う。前列に座った祖父母は1970年代に出稼ぎ労働者としてドイツに来た。母親(後列右)や妻(左)、子ども2人を含め、一家はベルリンに住んでいる。
  • ドイツのシリア人。「僕たちを好きな人もいれば、そうでない人もいる」と11歳のオベイダ(左)は話す。一緒にいるのは、8歳の妹ベイラサンと10歳の弟アーメル。ベイラサンはベルリンの学校が気に入っているが、シリアに残る父親に会えないのがさみしいという。
  • ドイツのシリア人。「こうやって娘を担いで旅してきました」。ムハンマド・ジュマは、10歳の娘を連れてダマスカスから来た。ベルリンで写真を撮った時点では、妻と息子はギリシャに足止めされていた。「この悪夢が終わり、質素な普通の生活を送ること」が願いだ。
  • フランスのアルジェリア人。「差別が始まったのは、学校に入った6歳か7歳の頃でした」と、66歳の作家パトリシア・ファティマ・フイシュは語る。母親はフランス人、写真の父親はアルジェリアの独立派の指導者だった。これまでほとんどフランスで暮らしてきたが、死んだらアルジェリアに埋葬されたいという。
  • フランスのアルジェリア人。「僕は100%フランス人だけど、100%アルジェリア人でもある」と10歳のマシリ・ムザウイ(右)は胸を張る。8 歳の弟イリアスも同じ考えだ。兄弟はパリ郊外で快適に暮らす。母親はフランス人で、父親はアルジェリア系移民。
  • スウェーデンのソマリ人。「この国が好きな理由の一つは、難民にもやさしくしてくれる点です」。そう話す32歳のムハンマド・アリ・オスマンは、スウェーデンに住む妻と2012年に合流した。「ここでは職がないので肩身が狭い」とも言う。「言葉の壁が大きな障害です」
  • スウェーデンのソマリ人。「僕は自分をソマリ人だと思っています。これからも変わりません。スウェーデンには平和を求めて来ました。とてもいい国です」。16歳のアサド・アブディアシズ・ダヒルはイスラム武装組織に加わるよう圧力を受けたため、祖国を離れた。家族はソマリアにいる。
  • 英国のインド人。「私は生粋のロンドンっ子。差別されたことはなく、むしろインドの伝統を受け継いでいることで一目置かれます」。26歳の教師シャランジット・パッダは、英国人には移民を受け入れてほしいし、移民も英国文化を受け入れるべきだと言う。
  • 英国のインド人。「夫が子どもに教育を受けさせたいと言うので、インドを出ました」と、92歳のニシャッタル・パルは話す。夫とロンドンに移住したのは1970年。孫のパッダ(前ページ)はロンドン生まれだ。「生活には満足しています。とても幸せです」
  • 1960年代からトルコ系の移民が住むベルリンのクロイツベルク地区。写真はコットブッサー・トーア駅近くのカフェだ。ドイツは新たな移民の流入に直面し、「過去の経験から学んだ」とミヒャエル・ロート欧州担当国務大臣は言う。
  • 昨冬、中東から逃れてきた難民およそ2000人が、ベルリンの旧テンペルホーフ空港に収容された。息子と一緒にシリアを脱出した55歳のクルド人、ゼナブもその1人。ドイツ各地の都市では、難民認定の手続きを待って、多くの人々がこうした施設で暮らしている。
  • ベルリンでの結婚式の前夜、トルコ伝統の「ヘンナの夜」の儀式を行う花婿のセルカン・チャバンと花嫁。花婿の母親が花嫁の手のひらにヘンナという染料を塗る。ドイツのトルコ系移民の約93%がトルコ系と結婚する。

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