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ナショナル ジオグラフィック日本版 2016年3月号

東北の5年間 6つの物語

  • <b>「震災の記録」 写真=木村洋介</b><br>2015年11月、骨組みだけが残る、宮城県南三陸町の防災対策庁舎。背後には、復興工事に使われる土砂が山のように積まれている。
  • <b>「震災の記録」 写真=木村洋介</b><br>2011年7月に撮影した岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」。保存処理が施される前の「まだ生きていた」ときの姿だ。
  • <b>「震災の記録」 写真=木村洋介</b><br>宮城県気仙沼市の旧南三陸シーサイドパレス。東日本大震災による地盤沈下の影響で海水に漬かっていたが、2015年、防潮堤建設のために解体された。
  • <b>「震災の記録」 写真=木村洋介</b><br>東日本大震災で被災した、宮城県気仙沼市の旧南三陸シーサイドパレス。ホテル棟に向けて、解体作業用の道が延びる。震災遺構の候補にも挙がったが、計画中の防潮堤用地であることから、昨年秋までに解体・撤去された。
  • <b>「原発のそばでわが子を捜す父」 写真=渋谷敦志</b><br>2013年12月、娘・汐凪(ゆうな)ちゃんの捜索を終え、大熊町の自宅跡を後にする木村紀夫さん。見つけた遺品は雨風で傷まないよう、コンテナボックスに保管した。除染しなければ持ち帰れないからだ。<br><br>渋谷 敦志(しぶや あつし) 1975年大阪府生まれ。世界の紛争地や貧困問題を取材し、東北の被災地にも通い続ける。著書に『希望のダンス』など。
  • <b>「原発のそばでわが子を捜す父」 写真=渋谷敦志</b><br>「寂しい思いをする娘を見守ってほしい」と願って、木村さんは自宅跡裏の高台に地蔵と慰霊碑を建て、「ずっとあなたたちと共に」と刻んだ。2013年からは、南相馬市の上野敬幸さんが中心になって立ち上げたグループ「福興浜団」の仲間が木村さんの捜索に参加している。
  • <b>「原発のそばでわが子を捜す父」 写真=渋谷敦志</b><br>2013年6月、津波が突き抜けた上野さんの南相馬市の自宅前で、仲間を見送る上野さんと震災後に誕生した倖吏生(さりい)ちゃん。津波で亡くなった8歳の長女・永吏可(えりか)ちゃんと3歳の長男・倖太郎(こうたろう)君から1字ずつとった。「家族7人でまたここで暮らしたい」と願う上野さんは、被災した自宅の隣に新しい家を建てた。
  • <b>「原発のそばでわが子を捜す父」 写真=渋谷敦志</b><br>2015年5月、汐凪ちゃんが通った大熊町の熊町小学校に入った木村さん。震災から4年2カ月たって初めてのことだった。汐凪ちゃんの写真や作文、粘土板、絵筆を洗うバケツなどがきれいに残されていた。「宝箱のようだ」と木村さん。この教室で学ぶ子どもたちの姿を見ることはもうない。
  • <b>「1645日」 写真=郡山総一郎</b><br>2015年11月26日の夜、本宮市の牛舎で作業する三瓶恵子さん。酪農をやめることになり、1週間後に牛の処分を控えていた。<br><br>郡山 総一郎(こおりやま そういちろう) 1971年生まれ。2001年から写真家として国内外のメディアで写真を発表。写真集に『FUKUSHIMA×フクシマ×福島』など。
  • <b>「1645日」 写真=郡山総一郎</b><br>2011年5月、浪江町で死んだ牛を、自宅裏の畑に埋める三瓶恵子さんの夫、利仙さん。本来なら処理施設に運ぶのだが、施設に受け入れを拒否された。
  • <b>「1645日」 写真=郡山総一郎</b><br>2012年3月、震災の影響で1年ほど遅れた娘・恵利さんの結婚式。父親の利仙さんが、式のリハーサルを見つめる。
  • <b>「震災の海に生き続ける生命」 写真=鍵井靖章	</b><br>2015年10月、宮古市の重茂(おもえ)半島沖で、津波に流されてきたとみられる定置網の下に潜ると、メバルの若魚が群れていた。<br><br>鍵井 靖章(かぎい やすあき) 1971年兵庫県生まれ。自然のリズムに寄り添う撮影スタイルを心がける。写真集に『ダンゴウオ 海の底から見た震災と再生』など。
  • <b>「震災の海に生き続ける生命」 写真=鍵井靖章	</b><br>2011年12月、宮古市日出島で撮影。周囲には車などが沈んだままだったが、少し視点を変えて海底を見渡すと、さまざまな生き物に出会えた。写真は、エムラミノウミウシ。大きさは約5センチ。背景の白いものは、イシコと呼ばれるナマコの触手。12月の撮影だったので、クリスマスツリーの飾りを少し思い出した。
  • <b>「震災の海に生き続ける生命」 写真=鍵井靖章	</b><br>2011年12月、宮古市日出島で撮影。この時期は生態系のバランスが崩れていたように感じる。海底の至るところでマヒトデが大発生していた。津波の影響で、陸上から栄養分が海に流れ込んだためだと思われる。現在は、このようなマヒトデの大群は見かけない。
  • <b>「震災の海に生き続ける生命」 写真=鍵井靖章	</b><br>2014年9月、宮古市浦の沢の水深約3メートルの海底に沈む車。震災の1年後から定期的に撮影している。横転した状態で、浅瀬にあるために劣化が早い。タイヤや車体にコンブなどが繁茂し、自然が悲しみを包み込んでいるようにも思える。
  • <b>「造船所、再建への道のり」 写真=野田雅也</b><br>2011年11月2日の岩手造船所。津波で流されて炎上した岩手県宮古市のタンカーが、解体のために運び込まれていた。<br><br>野田 雅也(のだ まさや) 1974年福岡県生まれ。長年チベットを取材しているほか、世界各地の紛争や災害も撮影する。映画『遺言 原発さえなければ』で共同監督。
  • <b>「造船所、再建への道のり」 写真=野田雅也</b><br>2012年2月17日、仕事の合間に一服する船大工の東満衛門さん。81歳のとき、寝たきりだった妻を津波で亡くした。人生をともに歩んできた妻への想いを胸に、再び造船所へ戻った。「仕事をしながら、パタッと逝けば本望」と岩手県山田町の仮設住宅から通ったが、震災の3年後に船大工を引退した。
  • <b>「造船所、再建への道のり」 写真=野田雅也</b><br>海にはがれきが漂流し、船尾のプロペラにロープや漁網がからみついたり、舵(かじ)が損傷したりすることもある。2012年6月4日の造船所では、船底に付着したフジツボや貝類、藻を落として掃除、点検する作業が進んでいた。
  • <b>「造船所、再建への道のり」 写真=野田雅也</b><br>地盤を1メートルかさ上げする工事が完了し、大型の巻き上げ機や作業所も新設された岩手造船所のドック。2014年9月22日に撮影。津波で海底に沈んだ造船所のタグボートや台車も引き揚げられ、再建は進んでいる。
  • <b>「苦難を乗り越え、いざ出陣」 写真=岩波友紀</b><br>2014年、がれきが残る南相馬市鹿島区の海岸で、乗馬の練習をする騎馬武者。この海岸は震災後2年間は使えなかったが、地元の人たちによるがれき撤去作業などのおかげで復活した。<br><br>岩波 友紀(いわなみ ゆき) 1977年長野県生まれ。全国紙勤務を経て、現在は福島市に居住し、東北を取材する。今春、写真集『1500日 震災からの日々』を刊行。
  • <b>「苦難を乗り越え、いざ出陣」 写真=岩波友紀</b><br>早朝の乗馬練習を終え、馬の世話をする南相馬市の北原靖久さん。年に1度の野馬追のためだけに、馬を飼い続けている。原発事故の風評被害の影響で、勤め先の市内の工場で担当業務ができなくなり、県外に転勤になった。2012年末に戻り、翌年3年ぶりに野馬追に参加した。
  • <b>「苦難を乗り越え、いざ出陣」 写真=岩波友紀</b><br>2014年7月、仮設住宅から出陣する菅野長八さんたち。相馬野馬追が開かれる地域は、旧相馬藩の行政区だった5つの「郷(ごう)」で構成されている。北郷の「侍大将」だった長八さん宅には、野馬追の朝、必ず仲間の騎馬武者が迎えに来る。仮設住宅での出迎えは3年間続いた。
  • <b>「苦難を乗り越え、いざ出陣」 写真=岩波友紀</b><br>浪江町の中学生、高西久美子さんは、相馬市の仮設住宅に避難している。原発事故で参加者が激減していると聞き、「避難で散り散りになった同級生に勇気を与えたい」と、2014年に初めて参加した。女性の参加が認められている19歳まで毎年参加して、最後の年には出場しながら自分で映像を撮って残したいという。

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