かつて世界第4位の広さを誇った内陸湖が干上がり、消滅の危機に瀕している。その環境変化が及ぼす影響は、私たちに何を伝えているのか。

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アラル海からの警鐘

かつて世界第4位の広さを誇った内陸湖が干上がり、消滅の危機に瀕している。その環境変化が及ぼす影響は、私たちに何を伝えているのか。

文=マーク・シノット/写真=キャロリン・ドレイク

 カラカルパクスタンは、ウズベキスタン国内にある自治共和国だ。その砂だらけの断崖から眺める風景は、普通の砂漠と何ら変わりはない。だが、よく見れば貝殻の山があり、砂地には打ち捨てられ、さびついた漁船が5、6隻鎮座している。ここはかつて、アラル海に突き出た半島の突端だった。1960年代まで、アラル海は世界で4番目に大きな内陸湖で、面積は約6万7000平方キロもあった。

1977年
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1987年
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1998年
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2006年
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2010年
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2014年
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1987年に南北に分断されたアラル海は、その後、異なる運命をたどることになる。2005年に完成したコクアラル・ダムは分断に拍車をかけ、北の小アラル海に復活の兆しをもたらしたものの、南の大アラル海にはシルダリヤ川の水が入らなくなってしまった。2014年までには、灌漑(かんがい)と干ばつで、大アラル海東側の浅い部分は完全に干上がった。

綿花栽培のための灌漑で水位が低下

 カザフスタンとウズベキスタンにまたがるアラル海には、長い間、アムダリヤ川とシルダリヤ川という二つの大河が注いでいた。流出する川がなく、流入と蒸発が自然に釣り合うことで、アラル海の水位は一定に保たれてきた。紀元前4世紀にはすでに、これらの川は中央アジアの人々の生活に欠かせない存在となっていた。

 中国とヨーロッパを結ぶシルクロード沿いの集落が何世紀にもわたって繁栄できたのは、アラル海と大河の河口に広がるデルタ地帯のおかげだ。

 状況が変わったのは、1920年代初めに一帯がウズベク・ソビエト社会主義共和国として、ソビエト連邦に組み込まれてからだ。スターリンは中央アジア一帯を綿花の大生産地にしようと決めたが、大量の水を必要とする綿花栽培は、この乾燥した気候の土地には不向きだった。そこで世界史上でも類を見ない壮大な計画がもちあがった。全長数千キロもの運河を手掘りで建設し、アムダリヤ川とシルダリヤ川の水を周辺の砂漠に引こうというのだ。

 1960年代に灌漑用の運河が1本、また1本と造られていくうちにアラル海の水位は急激に下がり続け、1987年には南北二つに分断された。カザフスタンの小アラル海と、カラカルパクスタンの大アラル海だ。2002年には、大アラル海の水位が下がり、さらに東西に分かれてしまった。そして2014年7月に、その東側は完全に干上がった。

 悲惨な経過のなかで唯一の明るいニュースは、小アラル海に復活の兆しが見えてきたことだ。2005年、カザフスタン政府は世界銀行の支援を得て、小アラル海南岸に全長13キロにわたるコクアラル・ダムを建設し、シルダリヤ川の水を蓄えられるようにした。その結果、小アラル海と、そこに生息する生き物が、予想を上回る速さで回復しつつあるのだ。だがその一方で、ダムによって重要な水源を断たれた大アラル海は、もはや消えていくしかない。

※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2015年6月号でどうぞ。

編集者から

 自然というのは、うまくバランスが取れるようにできています。かつての豊かなアラル海は、まさにその象徴だったといえるでしょう。人間の身勝手で作られた堤防、用水路、ダム…それらは本当に、必要なのでしょうか。アラル海のケースはあまりにスケールの大きな事例ですが、これを教訓に、日本国内の変化にも、もっと声を挙げていく必要があるように思えてきます。(編集H.O)

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