関東大震災から復興する東京を外国人記者はどう見たか

2020.09.01
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「10年前の東京は、狭く曲がりくねった道と茅葺き屋根の平屋が立ち並ぶ古びた町だったが、人々はすでに、西洋風の考え方をするようになっていた。人力車を追いやる勢いの自動車は、ほとんど通り抜けられないような狭い道に阻まれてなかなか普及しなかった。それでも路面電車が走り、電灯が広まった。商業地区には近代的な建築物が立ち並び、西洋化はゆっくりと、しかし着実に進んでいた」

関東大震災にも耐えた、堅牢なつくりの東京駅の正面。その堅牢さを見習ってか、震災後、多くの建物が西洋建築様式で建築された。(ACME NEWSPICTURES/National Geographic 1932年2月号「今日の東京」より)

「新しい東京は、旅行者が魅力を感じる街ではない。通りは幅広く真っ直ぐで、かつての姿は跡形もない。広い道が火の手の広がりを防ぐことを過去の苦い経験から学び、新しい衛生学から公共衛生には光と風が必要なことを知ったからだ。頑じょうな建物は、地震と火災に耐える。1923年の大震災では、家財を抱えた3 万人が小さな空き地に殺到し、焼け死んだ。広々とした公園がつくられたのは、人々の娯楽のためだけでなく、こうした惨事を繰り返さないためでもある」

大震災の前年、1922年竣工の三菱銀行本店。ギリシャ神殿を思わせる堂々たる列柱、大理石のロビーなどが利用客を驚かせた。(EWING GALLOWAY/National Geographic 1932年2月号「今日の東京」より)

銀座は自転車で溢れ、サーカス団のごとく巧みに走る

 西洋化してゆく街並みは、筆者には「旅行者が魅力を感じる街ではない」と映ったようだ。それでも人々の暮らしや文化には強い興味を抱いていたことが、続く文章からうかがえる。

「たいていの外国人が滞在する帝国ホテルの向かい側は、日比谷公園。新しい日本にふさわしいこの公園では、和装よりも洋装が目立つ。テニスに興ずる若者はフランネルのズボンにセーターだが、見物する老人は着物に厚ぼったいマント。楽しげな少女たちの青い学校の制服は、米国でも通用しそうだ。雨の日、女学生はやぼったい黒い傘をさす。一方、母親たちは着物姿に、美しい彩りの紙の傘を広げる。青、黄、深紅、薄緑と、通りに花が開いたようだ」

着物と洋服をそれぞれまとった当時の女性たち。日本女性に焦点を当てた別の記事では、仕事に就く女性は洋服姿と説明している。(MARY A. NOURSE/National Geographic 1938年1月号「広がる日本女性のパワー」より)

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