大津波は1896年にも東北を襲っていた

ナショナル ジオグラフィック誌が伝えた124年前の明治三陸大津波

2020.03.11
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噴火の予兆

 地震学者の間では、桜島は前から注目されていた火山だった。小規模の地震が頻繁に起き、いずれ近いうちに大噴火が起きる前兆だと考えられていた。鹿児島の火山観測所では1913年だけで91回もの地震を観測した。それまでの観測では、この地域での地震発生回数は年間平均34回に過ぎなかった。

噴火の真っ最中、火山灰が降りしきる鹿児島市内は黒雲に覆われた。20秒間露光して撮影した1枚。(T. A. JAGGER/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 桜島の噴火が始まったのは、1914年1月12日の午前10時5分だった。桜島の中腹から突然真っ黒な噴煙が噴出し、たちまち周囲のミカン畑やサトウキビ畑、名物の桜島大根の畑などを覆い尽くした。噴火による火山灰は桜島周辺で1.7メートル。2日目には大阪で、3日目には東京でも桜島噴火による降灰が記録された。

桜島周辺では最大1.7メートルの火山灰が降り積もった。(T. A. JAGGER/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 一方、関東地方を襲った大地震は何の前触れもなく突然起こり、横浜の大部分と東京の3分の2の地域は廃墟と化した。この大地震は、富士山の南東数キロの深海底の地殻変動によって引き起こされたようだ。相模湾の海底は約270メートル沈下したが、それはまるで海底で大規模な陥没が起きたようなものだった。

 ところが陸地のほうは、隆起や陥没したといっても、せいぜい0.3~3メートル程度だった。ここから推測されるのは、おそらく相模湾の広い範囲で、海底での地殻変動があったのではないかということだ。

奥に見える屋上に小塔のある建物は東京・日本橋の三越本店。かろうじて立っているが、火災で焼けた。手前の運河沿いには、避難民がを小屋を建てて住んでいる。(T. A. JAGGER/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 桜島の爆発と関東大震災を比べてわかったのは、ある地点で異常な地殻変動があった場合は、かなりの確率で近くの火山が爆発するということだ。地震予知の信頼性をもっと高めるには、まだまだ未知のことが多すぎる。今後の研究の成果に期待するところが大きい。

危険の多い自然が培った、日本の風景と人々

 日本に暮らしている限り、地震や火山噴火と無縁ではいられない。だが、1921年7月号の「日本の地理(The Geography of Japan)」を執筆したウォルター・ウエストンは、こうした自然災害こそが日本の美しい地形を作り上げ、日本人の精神にも大きく影響していると論じた。ウエストンは、日本各地の自然を愛し、「日本アルプス」の名を世界に紹介した人物だ。

 日本は自然災害や危険が多いが、それを補ってなお余りあるほどの素晴らしいものがたくさんある。豊富な野菜や果物、野山を彩る様々な草木や花々、見事な風景、春夏秋冬がはっきりした四季の移り変わり。どれも日本以外ではあまり目にしたり経験することのできないものばかりだ。こうした自然環境が日本人の精神構造を形づくっている。

関東大震災後の東京・日暮里駅。被災した人々は列車に鈴なりになって東京を脱出した。混乱に乗じた事件も起こった。(P. AND A. PHOTOGRAPH/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 家屋の構造も日本人の精神構造とは切り離せない。木と紙とでできた日本の家屋は水害や火事などの災害にもろい。だからといって日本人は決して始終深刻そうな顔をしているというわけでもなく、楽天的だし創造的でもある。芸術家肌と言えなくもない。しかしながら、自然のもたらす災害や予期せぬ不幸から逃れられないという意識があるせいだろうか、日本人はどちらかというと運命論者なのではないだろうか。

※この記事は書籍『ナショナル ジオグラフィックが見た 日本の100年』を抜粋し、まとめたものです。

文=ELIZA R. SCIDMORE、T. A. JAGGER、Walter Weston

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