大津波は1896年にも東北を襲っていた

ナショナル ジオグラフィック誌が伝えた124年前の明治三陸大津波

2020.03.11
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 数少ない生存者たちは、高波にさらわれたものの沖の小島に幸運にも打ち上げられたり、浮遊物に必死につかまって九死に一生を得た。一方、泳ぎの達者だった犠牲者ほど、海中の岩へ波によってたたきつけられたり、漂流物にはさまれて体をつぶされたりで、遺体の損傷は激しかったという。

 津波の威力の大きさを示す例には事欠かないが、例えば松の大木がほとんど根元からもぎ取られたように折れたり鳥居が倒されたり、寺のみかげ石の門柱や石材が倒され、しかもそれが300メートルも押し流されたりした。

 犠牲者の多くは家の中に取り残された家族を助けようとして家に戻ったり、貴重品を取りに戻った人たちだった。

関東大震災と桜島噴火を比べてみた

1923年9月1日の昼前、関東南部を大地震が襲った。ある東京市内の駅舎は、倒壊し、焼けて完全に元の姿を失った。(P. AND A. PHOTOGRAPH/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災を、ナショナル ジオグラフィック誌は1914年の桜島噴火(大正大噴火)と比べながら伝えている。

 著者は、米国ハワイ火山観測所の所長だったT・A・ジャガー。噴火後の桜島や関東大震災後の東京を訪れ、二つの災害を地学的な観点から検証した。

1914年1月12日、桜島が噴火。三日後、火砕流が発生する中を、火山調査チームは必死に脱出した。(OSAKA MAINICHI SHINBUN/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 人類史上の二大天変地異が、最近相次いで日本を襲った。1923年9月に起きた関東大震災では40万人もの死者(編注:現在は10万人余りとされている)を出し、被害額も空前の規模に達した。一方、1914年の桜島の大噴火では、規模は最大級だったにもかかわらず、数十人の犠牲者が出ただけで済んだ。

「中に数十人居ます。助けてください」の看板を出して、救援の手を待つ被災者。地震で全壊した建物は10万5000戸余りだったという。(P. AND A. PHOTOGRAPH/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 桜島噴火で犠牲者がそれほど多くなかった一因は、噴火が事前にかなり正確に予知できていたことと、噴火に際しての避難誘導が迅速かつ効率的だったからだと言われる。これに対し関東大震災の場合は、前触れもなく襲ってきた大地震とそれに続く大火災とで、200万人の人口を抱える大都会東京と、隣接する横浜で未曾有の犠牲者と被害が出た。

寺の境内に避難した鹿児島の人々。桜島周辺の青年たちは人々の避難や救助活動に全力を挙げ、住民から大いに感謝された。(T. A. JAGGER/National Geographic 1924年4月号「桜島の噴火と関東大震災」より)

 桜島は、鹿児島湾を隔てて鹿児島の市街地に相対する標高1000メートル余りの活火山だ。噴火が起きる前、桜島には18の集落があり、農業や漁業を主に営む約2万2000人が生活していた。鹿児島はこの地方の中心都市で、人口は約7万人。桜島とはわずか4キロしか離れていない。

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