笑顔の女性二人の周りにあるのは、赤、青、緑の魔法瓶。ここは大阪の工場だ。1953(昭和28)年11月号に掲載された写真で、「大阪には工場が何百もあり、消費者向けの製品だけでなく、産業用機械も製造されている」との説明がある。戦後の復興が進んでいることを伝える一枚だ。
魔法瓶で保温の役目を担うのは、外装ケースに収まった「中瓶」という二重のガラス瓶。銀メッキを施した瓶と瓶の隙間を真空にすることによって熱が逃げにくくなり、長時間の保温を可能にしている。魔法瓶は20世紀初めにヨーロッパで製品化され、明治末期の1910年前後には日本に輸入されていた。1912年には、電球会社に勤務していた八木亭二郎が、電球の製造技術を応用して大阪で製品化に成功。舶来品が入り始めてから数年ほどで、国産品が登場した。それ以来、ガラス工業がさかんだった大阪では、魔法瓶の製造会社が次々に現れた。
当初、中瓶は一つひとつ職人の手で作られていたが、戦後に中瓶の製造が自動化されると、魔法瓶は一気に普及する。1978年には、軽くて丈夫なステンレス製が登場。持ち運べる水筒型も発売され、凍える冬空の下でも手軽に温かい飲み物を楽しめるようになった。
この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2021年3月号に掲載されたものです。