戦中戦後の日本を米国人記者はこう見ていた
大戦の前後、日本は敵国であった米国の記者にどのように見られていたのだろうか。
1888年に創刊したナショナル ジオグラフィック誌は、創刊当初から日本の素朴な人々やすぐれた文化、美しい自然について数多く紹介していた。
たとえば戦前、1933年3月号に掲載された特集「長い歴史をもつ若い国(Japan, Child of the World’s Old Age)」はこんな具合だ。
「日本人女性の和服には自然の趣が感じられる。乙女が美しい着物や髪飾りで着飾った姿には、感嘆の声を上げずにはいられない。しかし、詩人たちは女性を称賛する以上に、美しい景色や自然の造形美を詩に詠んできた。雲や霞、曙や夕暮れの輝きが生き生きと詠われる。西洋とは異なり、日本の文学、美術、言語に、自然を擬人化した表現はめったに見られない。それでも、日本人はあらゆる自然に何者かが宿って、美しい山々には神々がすむと考える」
ところが太平洋戦争が始まると、その内容は一変する。
日米開戦の翌年1942年8月号に掲載された「知られざる日本(Unknown Japan)」を見てみよう。著者は1930年代に5年間日本に滞在したことがあるウィラード・プライスという人物で、ナショジオだけでなく米自然史博物館に寄稿したり、子供向けの小説を書いたりしていた。
プライスは当時、米国のためのスパイ活動を行っていたとも言われており、敵国である日本人の心性を辛らつな言葉で分析している。
「日本を知る努力をしても無駄だと考えるべきではない。日本人を知る努力が、日本との戦争を1日でも早く終わらせ、平和を達成することにつながるはずだ。
日本人の強みの一つは、人命軽視である。日本人は国のために死ぬことに価値を見いだす。彼らは子供の頃から、個人の存在はさほど重要でないと教えられ、集団行動を好み、チームワークに優れている。日本には支配者などいず、集団のルールがすべてだ」