ここは東京の都心から300キロほど南の太平洋に浮かぶ八丈島。牛の乳を搾るのは着物姿の女性だ。「この女性が搾った牛乳は、バターとなって東京へ売られる」と、1938(昭和13)年1月号に書かれている。
山がちで平野に乏しい八丈島では、江戸時代から牛が多数飼われ、荷物の運搬に利用されていた。乳牛が導入されたのは、明治時代に入ってからだ。バターの製造も始まり、1923年には乳製品の工場が設立された。乳牛の数も増え、42~44年には1日の集乳量が10トン余りあったという。しかし戦後、花卉(かき)園芸に転向する農家が増えるにつれて、酪農は衰退。今は新しい民間会社が「酪農の島」の復活を目指す。
この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2021年2月号に掲載されたものです。