ギャラリー:古代ペルシャの遺跡を発見した「男装の考古学者」 写真6点 射手のフリーズ(細部)。紀元前6世紀、彩釉レンガで作られた。イラン西部のスーサにあるダレイオス1世の宮殿から出土した。 (H. LEWANDOWSKI/RMN-GRAND PALAIS) 100年前の条例に逆らい、ズボンを履いたジェーン・デュラフォイ。1800年11月以降、パリで女性がズボンを着用することは違法だった。この規則は「自由、平等、博愛」や、男性と同じ仕事をする権利、男性の服を着る権利などを女性たちが求めたことに対して、それを阻止するための方策だったと、歴史家は考えている。19世紀後半には、自転車や馬に乗る人に関して例外が認められた。いつでもズボンをはいて良いというジェーン・デュラフォイが得た特権は珍しいものだったが、有名人だった彼女の格好は社会的に受け入れられるようになっていった。フランス政府がこの条例を正式に廃止したのは、2013年のことだ。 (ENSBA/RMN-GRAND PALAIS) ゾロアスター教国だったササン朝ペルシャの2つの火の祭壇の前に立つジェーン・デュラフォイ。1880年代にペルシャ王家の墓地遺跡ナクシェ・ロスタムで撮影された。 (RUE DES ARCHIVES/ALBUM) 土木技師であり建築家でもあったマルセル・デュラフォイ。1900年頃に撮影。 (AURIMAGES) スーサ発掘の様子を伝える新聞。アシェット、1888年。 (AKG/ALBUM) 発見当初、ライオンのフリーズと射手のフリーズは、レンガの山にすぎなかった。破片を整理してラベルを付け、なんとかレンガを組み立て直したジェーン・デュラフォイは、自分のことを2つのフリーズの「考古学的な母」だと考えていた。どちらもパリのルーブル美術館の目玉となっている。 (ROGER VIOLLET/AURIMAGES)