カザフスタン、ウシュトベの駅で軍事パレードを眺める女性兵士。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
ソンオク・ジー氏(92歳)は、13歳のときにウラジオストクから強制移住させられ、その後すぐに両親を失った。多くの子供たちと同じように、彼女もカザフスタン人の家族に引き取られ、そこで育まれた堅い絆を今も大切にしている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
カザフスタンのウシュトベで暮らす、土地を追われた朝鮮人とその息子。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
カザフスタン、ウシュトベのボストベヒルにある墓地の倒れた十字架。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
ウズベキスタン人の結婚式が、同国の首都タシケントで行われた。近隣には朝鮮人が数多く暮らしている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
カザフスタン、エスケルディビに最初に設立された朝鮮語学校で、伝統衣装を身に着けておしゃべりをする10代の若者たち。数十年前には、生徒の10人中9人は朝鮮民族だったが、現在は10人中1人程度だ。校内で主に使われるのはロシア語だが、学生は朝鮮の言語、音楽、舞踊の授業を選択することができる。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
1937年に朝鮮人が最初に移住させられたウシュトベの街を歩く人々。一帯は現在、朝鮮地区と呼ばれているが、大半の朝鮮人は経済的な理由から、すでにより大きな街へ移っている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
ウシュトベの駅でカメラに向かってポーズをとるカザフ人の兵士。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
朝鮮人とロシア人の血を引く両親を持つ、ナスチャ・ナム、スヴェタ・ナムの姉妹。ウシュトベにある朝鮮系の教会で朝鮮語を習っているふたりの夢は、韓国へ行って言語と伝統舞踊を学ぶことだ。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
朝鮮人の子孫が数多く暮らすミラバード地区の韓国文化会館の近くで、ウズベキスタン式の結婚式の準備をする人々。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
ウズベキスタンで最も繁栄した朝鮮人村を創設した人物を称える記念館に飾られたキム・ビョンファ氏の肖像画。掛け軸には「私はこの新たな土地に家を築いた」とある。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
アルマトイの朝鮮劇場は、1932年にウラジオストクで設立された。上演作品は政府の厳しい管理下に置かれ、朝鮮文化に関するものは全体のわずか1割のみで、残りはすべてロシアやソビエトの演劇だった。2014年、カザフスタンのアルマトイで撮影。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
1歳の誕生日を祝う朝鮮伝統の宴「トルチャンチ」に集うタシケントの家族。ウズベキスタンの朝鮮人はすでに曾祖父母の言葉を話さないが、伝統行事は今も受け継がれている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
カザフスタン風の朝鮮料理。伝統的な朝鮮料理とは異なり、ロシアやカザフの料理に使われる材料が採り入れられている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
韓国系米国人の宣教師がウシュトベに開いた臨時の治療院で、鍼治療を受けるカザフ人男性。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)
カザフスタン、ウシュトベに骨組みだけが残るソビエト時代の建物。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL VINCE KIM)