特集ギャラリー:強制収容された日系人(2018年10月号)

1943年、ボーイスカウトの制服を着たジュンゾウ・ジェイク・オハラ(14)、タケシ・モトヤス(14)、エドワード・テツジ・カトウ(16)が、ハート・マウンテンの収容所で星条旗に敬礼する。PHOTOGRAPH BY PAT COFFEY,NATIONAL ARCHIVES
2013年、写真家のポール・キタガキ・ジュニアは前ページの3人の居場所を突き止め、カリフォルニア州のカトウの自宅で撮影した。PHOTOGRAPH BY PAUL KITAGAKI, JR.
1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃を受け、ルーズベルト大統領は翌年2月に大統領令第9066号に署名し、12万人を超す日系人を強制収容した。左は、ワシントン州にあった一時的な収容施設ピュアラップ集合センター。当局はここを「キャンプ・ハーモニ ー」という似つかわしくない名前で呼んだ。LIBRARY OF CONGRESS
競馬場に急造された集合センターに家族の車で到着した大学生のドロシー・タキイ(旧姓)は目を輝かせて写真に収まった。しかし間もなく、そこでの暮らしは彼女が思い描いていたような楽しいものでないことを知る。PHOTOGRAPH BY CLEM ALBERS, NATIONAL ARCHIVES
前ページのドロシーは1943年に収容所から出ると、シカゴへ移り住み、そこで夫となる男性と出会い、50年代にカリフォルニア州へ転居した。2017年、93歳になった彼女は自宅で撮影に応じた。PHOTOGRAPH BY PAUL KITAGAKI, JR.




