• カリフォルニアのゴールドラッシュ、1848年
    安い労働力を求める米国の呼びかけに応えた中国人労働者たちは、ゴールドラッシュの時代にカリフォルニアにやってきた。彼らを待っていたのは、過酷な扱い、外国人に対する高い税金、人種差別的な暴力だった。写真は1852年頃のカリフォルニア州オービンラヴィーン。白人と中国人の鉱夫計7人が、金を採るための樋の隣に立っている。1850年代には、南カリフォルニアにある金鉱山周辺の住人の5人に1人は中国移民が占めるようになっていた。(Getty Images)

  • 鉄道ストライキ、1867年
    米国初の大陸横断鉄道が開通したのは1869年のこと。それまでの10年間、約1万5000人の中国人労働者が過酷な条件下で線路を敷設してきた。開通の2年前、2000人の中国人労働者がストライキを行い、殴打の廃止、月35ドルから45ドルへの昇給、10時間シフト制の導入を求めた。当時の米国における最大の労働者ストライキだった。鉄道会社側は野営地への食料の配給を断ち、武装警備員を導入して、ストの参加者を強制的に仕事に復帰させた。(COURTESY OF THE LAWRENCE & HOUSEWORTH ALBUMS, THE SOCIETY OF CALIFORNIA PIONEERS)

  • 中国人排斥法、1882年
    1882年、議会は中国人排斥法を可決。中国人の米国への入国は禁止され、帰化した中国人の市民権も停止された。当初は10年間の予定だったが、1902年まで延長され、最終的には日本人、インド人、フィリピン人、韓国人などのアジア系移民も対象となった。画像は当時雑誌に掲載された風刺画で、中国人が座っている横に貼られた紙には、「注意――共産主義者、無政府主義者、社会主義者、フィニアン同盟員、チンピラは歓迎するが、中国人は入場禁止」とある。この法律が正式に廃止されたのは1943年。(LIBRARY OF CONGRESS)

  • サンフランシスコの東洋人学校、1885年
    1885年、すべての人種の公立学校への入学許可を求めて争われたテープ対ハーリー裁判の審理がカリフォルニア州最高裁判所で行われた。ジョセフ・テープ、メアリー・テープ夫妻がサンフランシスコの教育委員会に勝訴したことで、娘のメイミーの公立学校への入学が認められることとなった。しかしその後まもなく、州は各学区が「モンゴル系」の子供たちを公立学校とは別の「東洋人学校」に入れることを認可し、隔離政策を強化した。

    2017年、サンフランシスコ教育委員会は、中国系、日系、韓国系の子供たちを「東洋人学校」に通わせる根拠となる最後の法律を破棄した。(RYKOFF COLLECTION/CORBIS/CORBIS VIA GETTY IMAGES)

  • ギアリー法、1892年
    1892年のギアリー法は、中国人排斥法を延長したうえ、米国に住むすべての中国人に、自分たちの法的地位を証明する政府発行の在留資格証明書を取得・携帯することを義務づけた。身分証の不所持を見つかった者は、逮捕や強制送還、重労働を課せられる可能性があった。

    「この国で働く中国人にとって、ギアリー法案がどのような意味を持つかご存知でしょうか」。サンフランシスコの中国副領事は、米国政府にそう書簡を送っている。「それは、あなたの犬と同じレベルになることを意味するのです」

    画像の身分証は、カリフォルニア州サンノゼの36歳の洗濯職人、ルン・タン氏のもの。(IRS, FIRST DISTRICT CALIFORNIA/CALIFORNIA HISTORICAL SOCIETY)

  • ウォン・キム・アーク裁判、1898年
    ウォン・キム・アークさんは1873年、サンフランシスコで中国人の両親のもとに生まれた。10代の頃、中国旅行から米国に帰国しようとしたアークさんは入国を拒否された。1898年に彼が起こした訴訟では、米国で生まれた者は、たとえ親はそうでなくとも市民とみなされ、親の出身国を理由に市民権を剥奪されることはないとの判断が下された。 (ALAMY)

  • ハワイのチャイナタウン火災、1900年
    1899年にハワイで発生した腺ペストは住民全員に影響を与えた。しかし、初期の犠牲者は中国人で、地元の保健委員会は中国人だけを強制的に隔離し、米国本土への渡航を禁じた。1900年1月、当局はペストの犠牲者が出たホノルルのチャイナタウンにある建物を消毒のために燃やしたが、燃え広がった炎は、ホノルルの5分の1の建物と5000軒の家を焼き尽くした。生存者は武装警備の下、難民キャンプに収容された。(PHOTOGRAPH BY BROTHER BERTRAM, BROTHER BERTRAM PHOTOGRAPH COLLECTION, CHAMINADE UNIVERSITY OF HONOLULU VIA ULUKAU: THE HAWAIIAN ELECTRONIC LIBRARY)

  • カリフォルニア州外国人土地法、1913年
    1913年、カリフォルニア州は「市民権獲得資格のない外国人」による土地の所有と賃貸を禁止した。これをきっかけに、15の州で同様の法が制定された。同年、日本は公務員の添田壽一と神谷忠雄を派遣して、この法律と在米日系人への影響の調査にあたらせた。外国人土地法は1956年までカリフォルニア州の法律書に記載されていた。(COURTESY OF LIBRARY OF CONGRESS PRINTS AND PHOTOGRAPHS DIVISION)

  • 小沢孝雄とバガット・シン・シンド 1922年、1923年
    「白人」とは何か、それによってだれが得をするのか。1922年と1923年、その答えを突き止めようとした2つの裁判が行われた。日系人の小沢孝雄さんは、自分は肌の色が薄く、性格が良いという理由で、米国市民権を申請。最高裁は人類学的に白人ではないとして、これを却下した。数カ月後、バガット・シン・シンドさん(写真はシンさんとその妻と子供たち)は最高裁において、白人の定義にはアーリア人の子孫にあたるインドの民族も含まれると主張。裁判所は、彼は白人であることの「一般的な理解」に合致しないとしてその主張を却下した。(COURTESY OF DAVID THIND AND THE SOUTH ASIAN AMERICAN DIGITAL ARCHIVE (SAADA))

  • ワトソンビル暴動、1930年
    1930年1月、カリフォルニア州ワトソンビルで、白人農民の暴徒500人がフィリピン人農場労働者を襲撃。5日にわたり、暴徒はフィリピン人コミュニティを恐怖に陥れ、男たちを家から引きずり出したり、橋から投げ落としたりした。

    ワトソンビル暴動をきっかけとして、カリフォルニアの諸都市で暴力事件が起こった。当時米国の植民地だったフィリピンからの移民について、新聞はカリフォルニア州が抱える「次の問題」と書いていた。

    数年後、ワトソンビルから約30分のところにあるサリナスのフィリピン人農場労働者たち(写真)は、民族差別に反対するストライキを行った。(PHOTOGRAPH BY DORTHEA LANGE, LIBRARY OF CONGRESS, U.S. FARM SECURITY ADMINISTRATION/OFFICE OF WAR INFORMATION BLACK & WHITE PHOTOGRAPHS)

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