• ラインハルト・ブントさんは、自宅が空爆された後、東プロイセンからリトアニアへ逃れた。クライビッヒ氏がリトアニアで出会ったオオカミの子どもたちのうち、十分な意思疎通ができるだけのドイツ語を覚えていたのはラインハルトさんだけだった。「心はドイツ人だけど、私はリトアニア人です」と語ってくれた。ヴィリニュスにある自宅の寝室で。(Photograph by Lukas Kreibig)

  • ラインハルトさんは1936年生まれ。3歳の時に戦争が始まった。(Photograph by Lukas Kreibig)

  • ギゼラ・ウンテルシュパンさんの戦争の傷はまだ癒えていない。孤児として育ったつらい経験が、誰にも顧みられることがなかったと感じている。(Photograph by Lukas Kreibig)

  • ギゼラさんは、ソ連軍が、東プロイセンの町ケーニヒスベルクに侵攻してきた際、家族と離れ離れになった。その後ソビエト占領時代にリトアニア、ラズディヤイの農場で働き、今もそこで暮らしている。(Photograph by Lukas Kreibig)

  • 若き日のエルフリード・ミューラーさん。1934年生まれで、11歳の時に難民となった。この写真は、リトアニア、カウナスに住む友人マルゴットさんの家で撮影したもの。マルゴットさんもまた、オオカミの子どもだった。(Photograph by Lukas Kreibig)

  • エルフリードさんは、11歳の時に母親と兄弟とはぐれた。他の家族はソ連軍に捕えられ、シベリアの強制労働キャンプへ送られた。(Photograph by Lukas Kreibig)

  • リトアニアに住む多くの「オオカミの子どもたち」のもとには、親戚から、幼いころの家族との思い出の品が届けられる。こうした子どもたちは、ほとんどすべての持ち物を東プロイセンに残してきてしまったからだ。写真は、古い家族写真を眺めるラインハルトさん。(PHOTOGRAPH BY LUKAS KREIBIG)

  • 戦後、家族の再会を支援していたドイツ赤十字には、離れ離れになった子どもや親の捜索依頼が殺到した。写真は、ギゼラ・ウンテルシュパンさんが1961年に赤十字から受け取った手紙。母親がドイツで見つかったという知らせだった。(PHOTOGRAPH BY LUKAS KREIBIG)

  • 生き別れて何年もたってから、ギゼラさんは遠く離れた母からの手紙を受け取った。手紙を通して再び母とつながることができたが、ギゼラさんは、母が他界する前にドイツへ行くことはできなかった。(PHOTOGRAPH BY LUKAS KREIBIG)

  • 1936年生まれのエルナ・シュナイダーさんは、東プロイセンの他の子どもたちとともに窓のない貨物列車に押し込められてロシアへ運ばれる途中、抜け出して森へ逃れた。そして1946年、兄弟とともにリトアニアへたどり着いた。地元の人々が、食べ物と寝る場所を与えてくれた。エルナさんは、ドイツ政府にもっとオオカミの子どもたちのことを知ってほしいと願う。写真は、リトアニアの自宅近くの湖畔を散策するエルナさん。(Photograph by Lukas Kreibig)

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