ローマ帝国の支配下にあり、繁栄の真っただ中だった2世紀のジェラシュの復元図。(ILLUSTRATION BY JOSEP RAM)
ローマ皇帝ハドリアヌスの横顔が描かれた2世紀のアウレウス貨。ハドリアヌスは旅の途中、129〜130年の冬をジェラシュで過ごした。(PHOTOGRAPH BY ASF/ALBUM)
3世紀初頭に造られたジェラシュの舗装道路のモザイク画。ギリシャの歴史家トゥキディデスが描かれている。ドイツ、ベルリン美術館所蔵。(PHOTOGRAPH BY BPK/SCALA, FLORENCE)
2世紀に建造されたアルテミス神殿のコリント式の柱。神殿はその役目を終え、東ローマ帝国時代には陶磁器の工房として使用された。イスラム帝国の到来後、聖域の壁は要塞に改造された。12世紀、十字軍を率いるエルサレム国王ボードゥアン4世が要塞を奪取。このときすでに、ジェラシュは廃虚と打ち捨てられていた。(PHOTOGRAPH BY STEVE DAVEY/AGE FOTOSTOCK)
2世紀に建造されたジェラシュのゼウス神殿は、写真のようなライオンのレリーフで装飾されていた。(PHOTOGRAPH BY DEA/GETTY IMAGES)
アルテミス神殿の復元図。ジェラシュがローマ皇帝アントニウス・ピウスの統治下にあった150年、このアルテミス神殿の建設が始まった。アルテミスはギリシャ神話に登場する狩猟の女神で(ローマ神話ではディアーナ)、ジェラシュの守り神でもある。神殿の建物群は無秩序に広がっており、東の端から寺院までの距離は500メートルを超える。入り口にはプロピュライアと呼ばれる立派な門がある。門をくぐり、階段を上ると、コリント式の柱に支えられたポーチがあり、その内側に広大な聖域がある。宗教儀式のほとんどがこのポーチで行われた。神殿へと通じる階段のそばに、いけにえをささげるための祭壇が置かれていた。(ILLUSTRATION: JOSEP RAMON CASALS)
コリント式の柱頭。アルテミス神殿の遺跡には現在も11本の柱が立っている。(PHOTOGRAPH BY ALAMY/ACI)
南劇場はローマ劇場の傑作の一つ。収容人数は3000人だ。1世紀末、皇帝ドミティアヌスの時代に建造され、後継者であるトラヤヌス、ハドリアヌスによって改修された。ゼウス神殿がある丘のそばに位置し、富豪たちに支えられた。ある碑文には、フラウィウス朝の皇帝が座席の設置費用として、3000ドラクマを支払ったと記されている。(PHOTOGRAPH BY JOCHEN SCHLENKER/AGE FOTOSTOCK)
南劇場の復元図。(ILLUSTRATION: JOSEP RAMON CASALS)
ゼウス神殿から眺めた楕円形の広場。南門からジェラシュに入ると広場があり、街を南北に貫く列柱道路カルド・マクシムスにつながる。このような楕円形の広場はローマ帝国の東部でしか見ることができない。ジェラシュの広場はその壮大さだけでなく、街のさまざまな要素を優雅に結ぶ綿密な都市計画という点でも評価されている。(PHOTOGRAPH BY KITTI BOONNITROD/GETTY IMAGES)
楕円形の広場の復元図。1世紀に建造された楕円形の広場は石で舗装されていた。その長さは100メートル近く、幅は75メートル以上ある。外周はイオニア式の立派な列柱に囲まれている。丘の上にはゼウス神殿がそびえ立つ。ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの時代に建てられたゼウス神殿は、ジェラシュの街のどこからでも見える。(PHOTOGRAPH BY ILLUSTRATION: JOSEP RAMON CASALS)
装飾的なレリーフ。これらはかつて楕円形の広場の支柱の上に水平に置かれたまぐさ石だった。(PHOTOGRAPH BY ALAMY/ACI)