第二次大戦中、米国政府は背信行為を恐れて日系人を強制収容所に送り込んだ。フレッド・T・コレマツ氏はこれに従うことを拒否し、命令は違憲であると主張した。(PHOTOGRAPH COURTESY OF NATIONAL PORTRAIT GALLERY, SMITHSONIAN INSTITUTION; GIFT OF THE FRED T. KOREMATSU FAMILY)
フレッド・コレマツ氏の肖像写真。1940年頃。氏の父親が、強制収容所に出頭する前に、家業で使用していた建物の屋根の垂木に隠しておいた数枚のうちの1枚。戦時中、多くの日系米国人が財産を手放した。(PHOTOGRAPH COURTESY OF NATIONAL PORTRAIT GALLERY, SMITHSONIAN INSTITUTION; GIFT OF THE FRED T. KOREMATSU FAMILY)
カリフォルニア州インヨー郡の強制収容所、マンザナー戦時転住センターの宿舎脇にあった高校の校庭。写真を撮影したのは、自身もここに収容されていた宮武東洋。彼は密かにカメラを持ち込み、(最初のうちはひっそりと)日々の生活を写真に収めていた。(PHOTOGRAPH BY TOYO MIYATAKE)
第二次大戦中、米国が日系人を収容した10カ所の施設のひとつ、マンザナー戦時転住センターに設置された有刺鉄線の向こう側にいる3人の少年。家を追い出されて収容所に入れられた人の数は11万人以上にのぼる。(PHOTOGRAPH BY TOYO MIYATAKE)
マンザナー強制収容所でバトンの練習をする少女たち。くじけることなく苦難に立ち向かった日系米国人たちは戦後、失ったものへの賠償を求めて闘い、勝利を手にした。(PHOTOGRAPH BY TOYO MIYATAKE)
全強制収容所における唯一の孤児院、マンザナー・チルドレンズ・ビレッジ。新生児から18歳まで、約100人の米国生まれの子供たちが3棟の施設で暮らしていた。(PHOTOGRAPH BY TOYO MIYATAKE)
1983年、再審による無実の証明を求めて記者会見に臨むフレッド・コレマツ氏(左)。隣にいるのは、ともに再審請求を行ったミノル・ヤスイ氏(中央)とゴードン・ヒラバヤシ氏(右)。彼らは勝利し、有罪判決は覆された。(BETTMANN VIA GETTY IMAGES)
オークランド、ローレル地区の駐車場にあるコレマツ氏の壁画。2011年、カリフォルニア州は毎年1月30日を「フレッド・コレマツの日」と定めた。アジア系米国人の名を冠した記念日が制定されたのは、米国史上初めてのことだった。その後、複数の州がこの先例にならっている。(PHOTOGRAPH BY DAVID M. BARREDA)