• 最後のオスが死ぬ瞬間(ケニア)
    「この写真を撮るのに、10年かかりました」と、写真家エイミー・ビターリ氏は話す。同氏がスーダンと名付けられたキタシロサイに初めて会ったのは、2009年のことだった。当時生存していたオスは、わずかに9頭。そのうちの1頭がスーダンで、チェコの動物園にいた。種を救うための土壇場の取り組みで、スーダンと他の3頭のサイをケニアにある保護区に空輸することが計画された。4頭すべてが長距離移動を乗り越えたものの、2018年、45歳になったスーダンは残された最後のオスになっていた。オルペジェタ自然保護区で、スーダンの保護官の1人であるジョーゼフ・ワチラ氏がかがみ込み、死にかけているスーダンの耳をなでるのを、ビターリ氏は見ていた。「私にとっては、ただの話ではありません」とビターリ氏は語る。「密猟は、とどまるところを知りません。私たちは今、目の前で、絶滅を目撃しているのです」(PHOTOGRAPH BY AMI VITALE)

  • バイソンをむさぼるグリズリー(米国)
    2014年に米国ワイオミング州を取材で訪れた写真家チャーリー・ハミルトン・ジェームズ氏は、この地域の動物の生活に魅せられ、ついには一時的にではあるが家族で移住してしまった。同氏は国立公園局と協力し、グランド・ティートン国立公園にある動物の死骸置き場にカメラトラップを設置した。ここは車にはねられて死んだ動物を捨てる場所で、観光ルートから離れており、動物たちの自然な行動を見ることができる。こうして撮れたのが、オスのグリズリーが、バイソンの死骸に群がるワタリガラスを追い払うこの写真だ。「これが、カメラトラップの一番好きな点です」とナショナル ジオグラフィックの写真副編集長キャシー・モラン氏は語る。「舞台を整えるだけ。そこで何が演じられるのかに、写真家がいっさい関与しないことです」(PHOTOGRAPH BY CHARLIE HAMILTON JAMES) (参考記事:「決定的瞬間、こうして撮った――写真家が語る」

  • ハチドリが蜜を飲む驚きの瞬間(米国)
    え? ハチドリの餌入れを作るのですか? 写真家アーナンド・バルマ氏の奇妙な注文に、地元の科学用ガラス器具製造会社は驚いた。バルマ氏が依頼したのは、カメラを取り付けられるようにした小さな透明の容器。2017年7月号の特集のために、ハチドリが開口部から蜜を吸い、小さな舌を必死に動かす様子をとらえたいと考えていた。「この撮影で最も難しかったのは、その容器にハチドリのくちばしを入れさせることでした」と同氏は話す。ちなみにハチドリは、この撮影でけがをすることはなく、動揺しているようにも見えなかった。(Photograph by Anand A. Varma) (参考記事:「2017年7月号 ハチドリ 究極の飛翔術」

  • 伝説的な登攀を命がけで撮影(米国)
    アレックス・ホノルド氏が、ヨセミテ国立公園のエル・キャピタンで、有名なフリーソロ登攀(岩壁を単独でロープを使わずに登ること)を成し遂げる10年前から、写真家ジミー・チン氏は、よく一緒にクライミングをしていた。2017年6月、チン氏はホノルド氏の登攀を記録するナショナル ジオグラフィックの映画『フリーソロ』チームの一員として、地上760メートルにいる友人が最終ピッチを切り抜ける瞬間を撮影するのに全神経を注いだ。「この瞬間ほど、命をかけたことはなかったでしょう」とチン氏は語る。「不可能なこと、崇高なことを達成したのです。まさに完璧でした」(PHOTOGRAPH BY JIMMY CHIN)(参考記事:「ロープなしで900mの絶壁を初登攀、米ヨセミテ」

  • 移植を待つ顔面(米国)
    手術室のテーブルに慎重に置かれた人間の顔面。医療スタッフと共に抱いたのは「敬意です」と、写真家リン・ジョンソン氏は振り返る。提供者から摘出された、移植される前の顔面は、生きているようだった。「アイデンティティーとは何かについて、疑問を投げかけていました」と同氏は話す。同氏の友人である写真家マギー・スティーバー氏は、顔面移植を受けた女性ケイティー・スタブルフィールドの物語を2年以上記録してきた。ケイティーは18歳の時に銃で自殺を試み、顔を失った。別の若い女性が亡くなり、顔面移植が可能となった。スティーバー氏、ジョンソン氏、ライターのジョアンナ・コナーズ氏は、その過程を詳細に記録し、ナショナル ジオグラフィックの2018年9月号に掲載した。手術は31時間にも及んだが、無事に成功した。ケイティーは、話す練習と顔の筋肉のリハビリを続けており、最近では、大学に進学したいと言っている。(PHOTOGRAPH BY LYNN JOHNSON) (参考記事:「顔を失った女性、顔面移植成功で再出発を誓う」

  • 路上で痛みに耐える妊婦(アフガニスタン)
    写真家リンジー・アダリオ氏は長年、妊婦の死亡やアフガニスタン女性の問題を撮影してきたが、2010年12月号の取材中に遭遇したドラマは、その両方が絡み合ったものだった。取材陣はアフガニスタン北東部バダフシャーン州の路上で二人の女性と遭遇したが、うち一人が妊婦で、しかも陣痛が始まっていたのだ。付き添う男性もいなかった。夫は車が故障したため、別の車を探しに行っていた。アダリオ氏たちは、この一家を病院まで車で送り届け、彼女は無事に女の子を出産した。(PHOTOGRAPH BY LYNSEY ADDARIO) (参考記事:「2010年12月号:アフガニスタン 女たちの反逆」

  • 結婚させられる少女たち(イエメン)
    少女たちの後ろに立つ男性は、父親ではない。夫だ。写真家ステファニー・シンクレア氏は、撮影プロジェクト「Too Young to Wed」で、伝統を盾に少女に結婚を強いる「児童婚」を世界各国で取材してきた。イエメンの少女ガダ(手前)とタハニ(奥)、その夫たちを撮ったこの写真は、ナショナル ジオグラフィックの2011年6月号の特集に掲載され、国連の児童婚反対キャンペーンで取り上げられた。(PHOTOGRAPH BY STEPHANIE SINCLAIR)(参考記事:「2011年6月号 幼き花嫁たち」

  • 隣国の電波を求めて(ジブチ)
    2013年初め、ナショナル ジオグラフィックのライター、ポール・サロペック氏は、人類大移動のルートをたどる旅の最初の一歩を踏み出した。アフリカから4大陸を通り南米大陸の最南端まで、およそ3万3000キロを7年かけて踏破する旅だ。アフリカ北東部のジブチで取材に加わった写真家ジョン・スタンマイヤー氏は、散歩中に写真の場面に出くわした。隣国ソマリアの携帯電話の電波を求める人たちだ。「驚きました。現代の移動を象徴する光景でした」。サロペック氏は、まだ歩いている。最後に連絡があったのは、ミャンマーからだった。残り2万キロだ。(PHOTOGRAPH BY JOHN STANMEYER) (参考記事:「2013年12月号 全長3万3000キロ 人類の旅路を歩く」

  • ハリウッドを歩くピューマ(米国)
    彼の名前はP22。写真家スティーブ・ウィンター氏は、米国ロサンゼルスの都市公園グリフィスパーク内のどこかに定住しているというピューマを撮影しようと、カメラトラップを設置した。都市に住むがほとんど姿を見せないピューマについて、ナショナル ジオグラフィックで紹介するためだ。1年以上を要したが、ようやく撮影できたのが、有名なハリウッドの看板の前を歩くP22の写真だ。「この写真が、南カリフォルニアに生息するピューマなど、動物たちの保護運動に火をつけました」と同氏は話す。「ロサンゼルスでは毎年、『P22 Day』としてフェスティバルが催されています」(PHOTOGRAPH BY STEVE WINTER) (参考記事:「2013年12月号 復活するピューマ」

  • 脱出しようとしたエボラ感染者(シエラレオネ)
    「写真の光景は、頭から離れません」と、撮影した写真家ピート・ミュラー氏は言う。2014年、西アフリカでエボラ出血熱が大流行し、被害が急速に拡大する中、同氏は取材でシエラレオネにある治療センターにいた。その時、錯乱状態に陥った感染者が、隔離エリアから抜け出し、壁を登って外に出ようとした。武装した警官1人と防護服に身を包んだ医師2人が男性を取り押さえ、ベッドに連れ戻した。男性は、12時間後に死亡した。当時、この地域はエボラ拡大によって壊滅的な被害を受けた。(PHOTOGRAPH BY PETE MULLER) (参考記事:「世界報道写真賞受賞! エボラ被害国の実情ルポ(全4回)」

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