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日本人探検家、「ロビンソン・クルーソー」の住居跡を発見




ロビンソン・クルーソー島。発掘現場からカンバーランド湾を臨む。


地下2メートルに現れた焚き火跡から土壌を採集する。


発掘現場と高橋大輔。柱の跡も複数見つかった。





 日本人探検家、高橋大輔(38歳)率いる国際学術調査チーム(日本、英国スコットランド、チリ)は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けて南米チリの700キロ沖合に浮かぶ孤島を発掘調査し、冒険小説『ロビンソン・クルーソー漂流記』のモデルとなった人物が4年4カ月の間、この島で一人暮らした住居跡を発見しました。

 モデルとなったスコットランド人の船乗り、アレクサンダー・セルカークは、今から300年前の1704年にこのフアン・フェルナンデス島(1966年にロビンソン・クルーソー島に改名)に置き去りにされました。その後4年4カ月を自給自足で暮らし、1709年に海賊船団に助けられます。『ロビンソン・クルーソー漂流記』は、このセルカークをモデルに英国の作家ダニエル・デフォーが1719年に発表した物語です。ただし、セルカークが実際に島内のどこでどんな暮らしをしていたかは分かっていませんでした。
 高橋は1992年からその謎を追い続け、2001年にセルカークの住居跡らしき遺跡を発見。今回、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けて、2005年1月~2月にスコットランド博物館の考古学者デビッド・コールドウェル博士やチリの考古学者ら5人からなる調査チームを組織し、発掘調査を実施しました。
 当初、住居跡と想定していた遺跡は、セルカークが生活した時期より後にスペイン人が建造したものと判明しましたが、さらにその下層から焚き火跡と柱の跡が見つかり、当時の航海道具の一つであるディバイダー(割りコンパス)の断片も発掘されました。焚き火跡から抽出した土壌を炭素分析したところ、セルカークの滞在時期に該当したこと、また当時、航海道具を持参して同島に滞在したという記録があるのはセルカークだけであることから、この遺跡がセルカークの住居跡であることにほぼ間違いないことがわかりました。
 詳細は、本誌10月号掲載の記事「ロビンソン・クルーソーの家を発見」をご覧下さい。この記事は、日本版をはじめ米国、フランス、スペインなど世界28カ国語版に同時掲載されています。

 今回、共同で発掘調査を行ったスコットランド博物館のデビッド・コールドウェル博士は、「これまでにも当時の沈没船から見つかったディバイダーを調べたことがある。今回の断片はその形状や組成からディバイダーに間違いないでしょう」と話しています。

 高橋大輔は、「物語を旅する」をテーマに、アイヌの伝承や浦島太郎など、伝説や昔話の謎を追って旅を続ける探検家です。王立地理学協会(本部:英国・ロンドン)、探検家クラブ(本部:米国・ニューヨーク)双方のフェロー会員。著書は『ロビンソン・クルーソーを探して』(新潮文庫)、『浦島太郎はどこへ行ったのか』(新潮社)。1966年、秋田市生まれ。

ロビンソン・クルーソー漂流記
英国人作家ダニエル・デフォーが著した無人島での冒険譚。ロビンソンの誕生からはじまり、船乗りになり、無人島に漂着し、独力で生活を築いてゆく。28年間を過ごした後、帰国するまでが描かれている。1719年刊。

ロビンソン・クルーソー島
チリ共和国はアレクサンダー・セルカークの無人島生活にちなみ、1966年にフアン・フェルナンデス島をロビンソン・クルーソー島と改名。国立公園にも指定されている。








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