地球のいのち

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“食べ物に禁欲な昆虫たち” ―食物連鎖の掟を破った人類への警告―

狂牛病や細胞膜の研究に取り組む気鋭の分子生物学者・福岡伸一氏。
少年時代の「気づき」体験がもとになっているという福岡“ハカセ”の話は、「難しい生物学もわかりやすい」と定評がある。生命の進化の中で、人間だけが他の生物の領域を侵している、と警鐘を鳴らす。「生命とは何を意味するのか?」と問い続ける福岡氏に、生命現象のシステムと、人類が生き残るために自覚すべきこと、そしていのちに対する考えを語って頂いた。

「はらぺこあおむし」が食べたかったもの

ぜひ福岡教授の子供時代のお話からお聞かせください。

 子供の頃、男の子は虫を好きになるか、鉄道のようなメカを好きになるかだと思いますが、私の場合は昆虫でした。
昆虫少年の夢は新種の虫を捕まえ、図鑑に載せることに尽きます。 毎日、珍しい、綺麗な虫を追いかけていました。しかし結局新種の虫を見つけることはできませんでした。
昆虫の標本を作る際に、野外の虫を捕まえると、どうしても羽の一部が欠けていたり、完全な蝶を捕まえることはかなり困難でした。
そこでどうするかというと、残酷かもしれませんが、卵から昆虫を育て成虫になったらすぐに殺し、標本にするのです。
つまり私は「飼育」ということを始めたのです。そうすると、飼育することの楽しさに気がつくようになるのです。
作家エリック・カールの「はらぺこあおむし」(偕成社刊、訳:もりひさし)という有名な絵本があります。エリック・カールが描いた青虫の話です。絵本の中で青虫は卵から還って、まず自分の卵の殻を食べます。
その後、腹ペコ青虫はお腹を満たすために色々なモノを食べていくのですが、そこは昆虫少年からみるとちょっと違和感を覚えるところでした。
何が違うかというと、昆虫は実は自分の食べ物に対してとても禁欲なのです。エリック・カールの腹ペコ青虫はチョコレート、りんご、ケーキと、貪り食べてしまいますが、普通の昆虫は自分の食べ物を非常に限定しています。
アゲハチョウだったら、ミカンの葉しか食べないし、種が違うキアゲハだとパセリの葉しか食べない。ある種の虫を育て成虫にする為には常に特定の餌を供給し続けないといけないのです。
私は当時小学校の行き帰りにどの家に何の木があるかを常にチェックしていました。さらにチェックした木から、幼虫の餌である葉を時々勝手に貰って帰っていたのですが、ある日、木の主に見つかってしまって、「コラ!何をやってるんだ!」と怒られ、家に逃げ帰ったことがあります。
しかし逃げ帰ったところで家に帰っても青虫にやる餌が無いので、母と一緒にその家へ出向き、謝罪しつつも「コレコレこのような事情でございまして、葉を分けてください」とお願いしたところ、翌日から貰えるようになりました。つまりそれぐらい虫を育てるということは大変なのです。

生物が食べ物を限定する根拠は何でしょうか?

 生物というのは自分の食べ物を非常に限定しています。しかし、栄養素としてみれば、アゲハチョウの幼虫はミカンの葉でないとダメなことは何もないのです。どんな植物であっても食べて消化すれば、たんぱく質、アミノ酸、脂質、そしてビタミンはそれらから摂取できるわけです。しかしアゲハチョウはどんなにお腹が空いていてもキアゲハが食べるパセリを食べない。幼虫はみかんの葉が無ければ餓死して死んでしまいます。

 私は生物学者として今は昆虫から離れてミクロのレベルで生命を研究していますが、基盤になっているリアリティーは昆虫を採取したり、育てていた時の様々な体験です。生物が自分の食べ物を非常に限定している理由は、限定することによって、ある食べ物に対して他の種と無益な競争が起きないように棲み分けていることにあるのです。自分が住む場所を限定する、食べ物を限定するということが生命の多様性で極めて大事な原則であって、それが守られているから世界がこれだけ豊かなのだと思います。

 それを「生態学的地位」というのですが、英語ではniche(ニッチ)と呼びます。日本ではよくニッチ産業、ニッチマーケットなど、隙間という意味に思われていますが、ニッチの言葉の元々の語源はnest(巣)と同じで、nestやnicheは壁の窪みという意味なのです。その場所が自分の生きる場所だという、自分の身の丈というか“分”を守っているのです。
つまり「禁欲」しているわけです。その「禁欲」が生物の多様性を保持しているのです。他のところにむやみやたらに行かない、あらゆる生態学的なニッチで生物は自分の分際を守っているのです。

人間だけが自分の窪み(ニッチ)を出てしまい、他人の窪みを脅かしているように感じますが・・・。

 そうです。さらに人間は他人の領域まで獲ろうとしています。人間が最初この地球上に現われて、初現的な類人猿のあたりから数えると、約700万年の時間が経っています。そしてそのほとんどの時間、人間の置かれていた環境は常に不足と欠落、欠乏に脅かされていました。朝起きたらどうやって、食糧を調達するか?日照りが続き、いつ水が不足するか分からない。或いはものすごく寒くなり太陽の光が見えないような、不足、欠落、飢餓というものに常に脅かされていたので、不足に対して、ものすごい恐怖が私達の生理的な反応や遺伝的な仕組みに影を落としているのです。しかし、ここ2~30年急に豊食の時代が到来しました。人間というのは過剰さということに対して何も準備がないわけです。過剰にモノがあると限りなく食べ、太ってしまうし、お金があれば必要以上の金額を集めてしまいます。

まさに資本主義ということですね?

 そうですね。資本主義が強欲に見えるのは、実は不足や欠落に対する裏返しの場合もあるわけです。
食べ物を限定している、禁欲しているのはある意味では自分の分際を守っていることになる。しかし、それが現在の人間にはないわけです。長い間、飢餓や不足に苛まれていたのに、急に過剰の時代にほうりだされてしまったのです。足るを知る、そういうことが私の考え方のベースにあります。

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