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特集

アラスカぐるっと176日

MARCH 2011

文=ダン・コッペル 写真=マイケル・クリストファー・ブラウン

ラスカの原野を人力だけで一周する大冒険に、1人の男が挑んだ。移動手段は自分の足とスキー、ゴムボートだけ。孤独と苦難に満ちた7530キロの旅にせまる。

 アンドリュー・スクルカは経験したことのない無力感に襲われていた。29歳になる彼は、2002年から延べ4万200キロを超える距離を踏破し、世界屈指の俊足トレッカーとして勇名を馳(は)せていた。しかし今、アラスカ州の寒村スラナの郵便局の前に座り込み、萎(な)えた冒険心を何とかして奮い立たせようと苦しんでいる。

 アラスカの原野を徒歩とゴムボート、スキーだけで一周するという総距離7530キロの挑戦は、まだ3分の1も終わっていなかった。ゴールまではまだ数カ月かかる。ここでやる気をなくすわけにはいかなかった。

 問題は、解けて緩くなった雪だ。ぬかるんだ雪原はスキーで移動する人間の体重を支えられない。アラスカ山脈をスキーで進もうとした時、スクルカの体は雪に深々と沈み、悪戦苦闘の末、スキーを諦めて歩くことにした。1日の大半を、膝(ひざ)まで雪に埋まりながら、ヤナギやハンノキが密生する茂みをかき分けて前進した日もあった。そんな日には、日没までに移動できたのがわずか19キロ。俊足で知られるスクルカとしては、考えられないほど短い距離だ。

 2007年には、1日平均53キロのペースで米国西部1万1064キロをぐるりと一周したし、その2年前にも、大西洋岸から太平洋岸に至る1万2517キロの北米大陸横断ルートを踏破していた。強靭(きょうじん)な体力と不屈の精神がこうした挑戦を成功に導いたことは確かだが、全行程を1キロ単位に細分化して立てる計画の綿密さで、スクルカは長距離トレッカーたちの間で伝説的な存在となった。

 しかし、彼の綿密な計画はアラスカでは通用しそうになかった。

 スラナの村外れにある公衆電話から、スクルカはマサチューセッツ州にいる家族に連絡を取り、安否を知らせた。その時、それまで感じたことのない不安に襲われ、涙があふれ出た。

米国的な快適人生を捨てて

 スクルカの風貌(ふうぼう)からは、「成功を約束された若者」という雰囲気が強く感じられる。本人に言わせると、米国的な成功を目標にして育てられたためだという。それはつまり、一流の教育を受けて、ウォール街で働き、快適な生活を送るという、お決まりの人生だ。1999年にノースカロライナ州の名門デューク大学に入学した時、スクルカはそうした人生を歩むつもりだった。しかし、入学後、彼は考えを変える。

 その理由は、アウトドアに対する情熱が燃え上がったためだ。大自然の中に、オフィスで働く人生とは比べ物にならないほどの解放感を感じたという。米国東部にそびえるアパラチア山脈を3500キロ以上にわたって貫くアパラチアン・トレイルを縦走した時、この解放感は頂点に達した。「あれ以降は、会社に勤めるなんて考えなくなった」と、スクルカは言う。

 スクルカを魅了したのは、ありきたりの山歩きではなかった。アパラチアン・トレイルの縦走で、通常の半分ほどの軽装備で素早く移動する“ファスト・アンド・ライト”というトレッキング法の面白さを知ったが、同時に、楽しさだけではない何かがあることに気付いたという。

 「挑戦ですよ。それを成功させるために、入念に計画を立て、技術を磨く。そこに魅力を感じたんです」

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