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特集

チンパンジーを見つめた50年

OCTOBER 2010

文=デビッド・クアメン

長類学者ジェーン・グドールはタンザニアでの50年にわたる研究でチンパンジーに対する見方を大きく変えた。その功績を振り返る。

 自分の運命を知るような出来事は、そう多くの人に起こるわけではない。だがジェーン・グドールはそんな出来事に遭遇した数少ない一人だった。

 1960年7月14日の朝、彼女はタンガニーカ湖の小石に覆われた人けのない岸に船で到着した。現在のタンザニアの西部にあたるこの場所は、当時、宗主国だった英国が1943年に設立したゴンベ・ストリーム動物保護区の一角だった。ジェーン(誰もが彼女をグドールではなくジェーンと呼ぶ)が持参したのは、テントが一張りとブリキ製の皿が数枚、取っ手のないコップ、安物の双眼鏡だけ。同行者は、ドミニクという名のアフリカ人のコック、そして自分の母親だった。

 ジェーンはチンパンジーの研究にとにかく挑戦してみるつもりでこの地にやって来た。成功の見込みはないとみる人も周囲にはいたが、ジェーンを指名した古生物学者ルイス・リーキーは、彼女がこの研究をやり遂げると確信していた。

 地元の漁師たちがジェーンの一行を出迎え、機材の運搬を手伝った。ジェーンは母親とともに午後いっぱいかけてキャンプを設営した。午後5時頃、誰かがチンパンジーを見かけたという知らせが届いた。「現場に行くと、確かにチンパンジーがいた」。その夜、ジェーンは日誌にそう記している。だがチンパンジーは、遠くにかすかに見えただけだった。「その姿を見つけた漁師たちのいる斜面まで行くと、チンパンジーは逃げていった。隣の斜面にも登ってみたが、チンパンジーが再び姿を現すことはなかった」。それでもジェーンは、近くの木の枝が何本もたわみ、平たくなっているのを見つけた―チンパンジーの寝床だ。この寝床に関する記録が、現代の生物学を代表する壮大なフィールド研究の出発点となった。以来、ジェーンは仲間の研究者とともに、ゴンベに生息するチンパンジーの行動を50年もの間、詳細に記録し続けてきたのである。

 ゴンベでの研究を開始した時、若きジェーンは英国で秘書の養成学校を卒業しただけで、科学者としての研究実績がないどころか、学士号すら取得していなかった。だが、幼い頃から動物が大好きで、いつかアフリカで動物を研究したいと夢見ていた彼女は、聡明で、気力に満ちていた。

 ゴンベに到着して最初の数週間は、悪戦苦闘の連続だった。研究方法をあれこれと模索していたし、マラリアと思われる発熱にも苦しんだ。うっそうとした森に覆われた山地を何キロも歩いてはみたが、チンパンジーにはほとんど出合えなかった。

 だがやがて、灰色のあごひげを生やした雄のチンパンジーが、驚くべき信頼の態度を示した。ジェーンが近づいても逃げ出さなかったのだ。ジェーンはこの年老いたチンパンジーを「灰色ひげのデビッド」と名づけた。デビッドのおかげもあって、彼女は自然人類学の常識を覆す、三つの発見を成し遂げた。まず、それまで草食動物と考えられていたチンパンジーが動物の肉も食べること。次に、チンパンジーが道具を用いること(植物の茎を使ったシロアリ釣り)。そして最後に、それまで計画能力を持つ人間だけの特徴とみなされていた、道具を作る(植物の茎から葉を払い落とす)能力が、チンパンジーにもあるということだ。これらの発見により、従来、ホモ・サピエンス(現生人類)とパン・トログロディテス(チンパンジー)を隔てると考えられてきた知性と文化の差は一挙に縮まった。

 三つの発見の中でも最も画期的だったのは、チンパンジーに道具を作る能力があることを明らかにしたことだった。これは「道具を作ること」を人間固有の能力と考えてきた人類学界に大論争を巻き起こした。ジェーンの発見のニュースに快さいを叫んだルイス・リーキーは、彼女にあてた手紙にこうつづった。「こうなると“道具”や“人間”の定義を一からやり直す必要がある。さもなければチンパンジーを人間として認めるほかない」。これは歴史に残る一文となった。人間の本質を追究する議論は、極めて重要な、新しい段階に入ったのだ。

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