/2009年3月号

トップ > マガジン > 2009年3月号 > 特集:シナイ半島 危うい平和の中で


最新号

定期購読

ナショジオクイズ

200種類以上の植物を育み、太陽光発電の照明で辺りを照らす写真の「スーパーツリー」はどの国の名物?

  • インドネシア
  • マレーシア
  • シンガポール

答えを見る

ナショジオとつながる

週2回
配信

メールマガジン無料登録

メルマガ登録の詳細はこちら



特集

シナイ半島
危うい平和の中で

MARCH 2009

文=マシュー・ティーグ 写真=マット・モイヤー

1979年の和平合意でエジプト領となったシナイ半島。リゾート開発が進む一方で、訪れる外国人を巻き込む爆弾テロが後を絶たない。

 アカバ湾に面した海辺の村タバは静寂に包まれていた。2004年10月7日も、いつもと変わらず、太陽はシナイ半島の山並みの背後に沈み、夕闇が山の斜面をすべり下りるように訪れた。村にあるヒルトン・リゾートでは、宿泊客が水着からドレスやジャケットに着替えていた。海水を引いたプールは夕方には水が抜かれている。10月の夜は、砂漠からの風で冷え込むためだ。

 このリゾートは、シナイ半島が夢見る未来の縮図だ。宿敵同士が平和のために領土をやりとりし、テロではなく観光業に力を入れる現実がある。英国の企業が経営し、エジプト人がスタッフとして務めるこのホテルには、欧州やロシア、さらにイスラエルから多くの宿泊客が訪れるし、入り口では、エジプトとイスラエルの国旗が並んではためいている。さかのぼること1カ月前、イスラエル政府は近日中にテロ行為があるかもしれないと注意を呼び掛けた。しかし、いつも警告だけに終わっていたので、このときもそう思われていた。

 ここにいると、過去半世紀の間、この半島をめぐって宿敵同士が戦いを繰り返してきた歴史などなかったような気になる。1956年、67年、73年と相次いだ戦争で、エジプトとイスラエルはシナイ半島に侵攻した。79年3月26日に両国は平和条約に署名し、イスラエルは再びシナイ半島の領有権をエジプトに譲った。30年経った現在も、この合意は守られている。

 シナイ半島は常に矛盾に満ちた土地だった。この世のものとは思えない美しさを湛える荒地は、対立をはらみながら調和を保ってきた。例えば、地政学上きわめて重要な土地でありながら、人口の大半を占める遊牧民ベドウィンは、国家への帰属意識がきわめて希薄だ。

 夜が更けると、ホテルの宿泊客はレストランからカジノやバー、ディスコに移っていった。この週末は、シナイ半島にゆかりの深い祝日だった。イスラエルの人々にとっては、エジプトを逃れた祖先が砂漠をさまよった時代をしのぶ「贖罪(しょくざい)日(ヨムキプール)」であり、エジプトの人々にとっては、1973年の第4次中東戦争(ヨムキプール戦争)で自国軍がシナイ半島に侵攻した日だった。イスラエルとの国境は、ここから目と鼻の先にある。国境の向こう側のイスラエル領内の町エイラットでは、非番の消防士シャカール・ザイドが妻と一緒にハリウッド映画を観て、映画館から出てきたところだった。そしてそのとき、くぐもった爆発音が町中に響いた。

1Next

年間購読のお申込はこちら

ナショナル ジオグラフィック バックナンバー