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特集

追憶のペルシャ

AUGUST 2008


 約30年前に起きたイラン・イスラム革命が、国民の自由、特に女性の自由を大きく後退させたのは事実だ。その後、イランは核開発に着手し、西欧諸国との対立姿勢を強めてきた。しかし、そこに至るまでの数千年に及ぶ歴史を、諸外国は見過ごしていると、人権活動家のエバディは主張する。

 「イランの人々は巧みに、侵略者との間に一線を引いてきました。アラブの侵入でイランはイスラム教に改宗したけれど、私たちの先祖はシーア派の道を選びました。アラブのスンニ派とは違います。イスラム教徒であることに変わりはなくても、あくまでイラン人であり続けたのです」

 自分たちについて、世界に何を伝えたいかと尋ねると、イラン人は口を揃えてこう言った。「私たちはアラブ人でないし、テロリストでもない!」。彼らの言葉の端々に、ペルシャ特有の愛国心が見え隠れした。近隣のドバイやカタールほど経済的に発展してはいないものの、自分たちは“特別”であるという意識が強い。

 イラン人はアラブ人に対して、彼らはテント暮らしの遊牧民(ベドウィン)で、アラブ文化と呼ばれるものも結局イランの受け売りだと思っているようだ。そんな彼らの激しい口調を聞いていると、アラブの侵略が1400年前ではなく、つい先週の出来事のような気がしてくる。

 イランで知り会ったアリという英語教師は、ペルシャ帝国の滅亡が、現在でもイラン国民の意識に影を落としていると話す。

 「ペルシャは偉大な文明国でした。そこへアラブ人がやってきて、本を燃やし、女たちを手ごめにしました。300年もの間、公の場でペルシャ語を話すことも禁じられたのです」

 イランではよく聞く話だが、多くの人がこの説を信じているようだ。

心のふるさと、愛すべき詩人

 アラブによる弾圧の下にあっても、イランの人々はペルシャ語を使い続けた。現在のイランの公用言語はペルシャ語(ファルシ)で、アラビア語の影響を多少受けてはいるが、基本となっているのは古ペルシャ語だ。

 人々が古代の言葉と歴史を記憶にとどめてこられたのは、"イランのホメロス"とも呼ばれる詩人フィルドゥシーの功績が大きい。イラン人は、10~11世紀に活躍したフィルドゥシーをはじめ、ルーミー、サイード、オマル・ハイヤーム、ハーフィズなどの詩をこよなく愛している。侵略者の圧政の下で、思いを自由に表現できない時は、支配者にはわからないように、詩人たちが韻文に本心を隠して代弁してくれた。

 「なかには処刑された詩人もいます。それでも、彼らは表現し続けました」と、考古学者のマジシザデーは言う。今日のイランには多種多様な民族や文化が混在していて、言語だけでも、トルクメン語、アラビア語、アゼルバイジャン語、バルーチー語、クルド語などがある。だが、マジシザデーによると、イランでは、民族が違ってもほとんどの人がペルシャ語を話せるという。「ペルシャ語は、今も使われている世界最古の言語の一つです」

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