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特集

地球にひとつの生命
奇跡の海 相模湾

JULY 2008

文=荒俣宏、新野大 写真=礒貝高弘

本の海の生き物の研究は、ここで始まった。明治以降、東京からほど近い相模湾で繰り広げられた採集・研究の奮闘史を、博物学研究家がひもとく。

 東京から2時間たらずで行ける相模湾は、東に三浦半島、西に真鶴半島をひかえたゆるやかな半円形の海域だ。東端の三浦半島には、江戸、東京に物資を運ぶ海運の寄港地や船番所があった。いっぽう、二つの半島にはさまれた内湾は、砂浜が美しい弧を描いてひろがり、湾のむこうに富士山を望む。江戸時代から風光明媚な磯遊びの観光地で、現在も日本でいちばんにぎやかな海水浴場がある。また、満潮になると海上に孤立する江ノ島は、信仰と行楽の地であって、旅館や物産店がひしめいていた。しかし、「地球の宝」ともいうべき相模湾の真価は、じつは海のなかにある。明治になって西洋から博物学者が来日し、ここが世界屈指の豊かな生物相をもつ海であることを発見するまで、日本人はそれを知らなかった。

 きっかけは、明治6(1873)年にドイツから医学校の講師としてやってきたフランツ・ヒルゲンドルフ(1839‐1904)だった。彼は発表されたばかりのダーウィン進化論に興味をもち、生物の化石を材料にその理論を検証する研究に着手していたが、ある日、江ノ島の土産物屋で美麗な巻き貝の殻を手にいれた。それは、貝殻の口に細長い切れ込みがある奇妙な貝だった。ヒルゲンドルフは、中生代の絶滅した貝類にこのような切れ込みがあることを知っており、「生きている化石」ではないかと驚いた。

 調べてみると、世界でまだ2例しか発見されていなかった現生の古代貝オキナエビスガイであった。この仲間は、進化論の研究をすすめるための貴重な材料であり、帰国後すぐに新種として報告した。この報告を見た英国の自然史博物館が、莫大な懸賞金をかけて採集にのりだす騒ぎになるほどのニュースだった。

 明治12(1879)年、ヒルゲンドルフの後任の一人としてドイツから来日したルートウィヒ・デーデルライン(1855‐1936)もまた、江ノ島の土産物屋に売られているホッスガイという珍しいガラス状の構造をもつ海綿動物に注目し、なんとか生きたままの個体を入手したいと考えた。そして相模湾の各地で海底をさらってまわり(ドレッジという)、ついに湾の東端に位置する三崎でこれを採集した。デーデルラインはこの調査から相模湾を「海洋生物の宝庫」と認め、世界に知らせた。1906年にフランツ・ドフラインが発表した『東亜紀行』にも、相模湾でとれたメンダコやタカアシガニ、オオグソクムシ、トリノアシなど珍奇な深海生物が図とともに紹介されている。

 いっぽう、米国からは、シャミセンガイをはじめとする古生代の生き残り生物を研究するエドワード・モース(1838‐1925)が明治10(1877)年に来日する。たまたま東京大学理学部に設置されたばかりの動物学教室教授に招かれたモースは、さっそく江ノ島に私設の研究所を建て、近くの海で採集を開始した。すると、これまで珍種とされてきた「生きている化石」が大量にとれるではないか。モースもまたダーウィン進化論を検証する生物を相模湾で手にいれることができた。

 これらの報告により相模湾の名は世界中にひろまり、やがては東京大学によって日本初の臨海実験所が建設されることとなる。

この続きは、ナショナルジオグラフィック日本版2008年7月号でお楽しみください。


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