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特集

アフガニスタン
輝ける至宝

JUNE 2008

文=ロジャー・アトウッド 写真=リチャード・バーンズ

乱をくぐり抜け、アフガニスタンの文化財がよみがえった。新たな国づくりを進める今、輝かしい過去が国民の誇りを取り戻すことになるのか。

 アフガニスタンのカブールにある国立博物館の館長を務めるオマラ・カーン・マスーディは、秘密保持の大切さをよく知っている。戦いが長期化し、祖国がこの世の地獄に変わっていくのを目の当たりにして、マスーディは「カギの番人」と呼ばれる数人の仲間とともに、アフガニスタンの文化財をひそかに隠した。祖国の歴史を物語る貴重な証拠が、戦乱で失われるのを防ぐためだ。

 1979年に旧ソ連軍が侵攻した後、約10年間にわたって激しい内戦が続き、カブールの大半が廃墟と化していた。軍閥たちが首都の支配権を巡り戦うなか、配下の民兵たちは国立博物館を略奪し、価値の高い収蔵品を闇市場に流したり、博物館の文書をたき火として燃やした。1994年には博物館が砲撃され、建物の屋根と最上階が破壊された。さらに2001年になると、イスラム主義政権タリバンの熱狂的な支持者たちが博物館に乱入し、ハンマーを振り回した。彼らは偶像破壊という名目で2000点を超す文化財を粉々に破壊したのだ。

 こうした暗黒の時代、マスーディら数人の博物館職員は、貴重な収蔵品の在りかを決して明かさなかった。彼らは、アフガニスタンの至宝「バクトリアの黄金」をはじめとする収蔵品を、1988年に大統領宮殿の地下金庫に隠していたのだ。それを知らなかった世界中の研究者たちは、収蔵品が古美術品の闇市場に流されたり、タリバン政権によって破壊されてしまい、再び見ることはできないだろうとあきらめていた。

 その後、米国を中心とした連合軍によるアフガニスタン侵攻とタリバン政権崩壊の混乱によって、「カギの番人」の大半が行方不明になるか、国外へ脱出していった。

 2003年10月になって、隠した収蔵品の安否を確認する時が来たと、マスーディは考えた。そして、金庫の扉をこじ開けてみたところ、「バクトリアの黄金」は一つも欠けることなく見つかった。さらに5カ月後、同じ地下金庫にしまってあった複数のトランクが開かれると、立ち会った研究者たちは息をのんだ。2000年前に作られた象牙細工やガラスの器が出てきたのだ。しまわれていた遺物は1930年代に、カブールの北東に位置するベグラム遺跡で発掘され、その後行方不明になったと思われていた。これらも博物館の職員たちが隠していた文化財で、保存状態はきわめて良好だった。

 「私たちが隠さなければ、こうしたアフガニスタンの宝は失われていたでしょう。それは確かなことです。秘密を知る人間が沈黙を守り続けたのです」と、マスーディは質素な事務室でジンジャーティーを飲みながら話した。彼が館長を務める国立博物館は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)などの資金援助で修復され、今では活気を取り戻している。

 博物館の展示担当者たちが展示室を次々と巡り、文化財を置くスペースを測っていたり、スカーフをかぶった女子生徒たちに教師がダリー語で解説したりしている。来場者の数は徐々に増え、年間6000人ほどに達した。博物館の保管室は略奪されていた遺物であふれている。世界中の税関で押収され、アフガニスタンに返還された品々だ。なかには、スイスとデンマークから帰ってきた約5000点の押収品も含まれているし、ロンドンのヒースロー空港の倉庫では、現地の警察が押収した4トン以上もの略奪品が帰国の時を待っている。

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