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特集

芭蕉の足跡を追って

FEBRUARY 2008

文=ハワード・ノーマン 写真=マイケル・ヤマシタ

趣あふれる紀行文『奥の細道』で世界中の読者を魅了してきた俳人・松尾芭蕉。米国人の作家と日系3世の写真家が、その足跡をたどる旅に出る。

 「日々旅にして、旅を栖とす」――俳人・松尾芭蕉は『奥の細道』の冒頭にこう記している。

 この言葉をかみしめながら、私は今、後に俳聖とうたわれた芭蕉が1689年に踏破した、2400キロの旅路をたどる準備を進めている。そして実のところ、この旅に臨むにあたって一抹の不安も感じている。

 今は亡き旧友で、京都で生まれ育った言語学者のヘレン・タニザキは、かつて私にこう話してくれた。「学校のクラスメートはみんな、芭蕉の句なら一つや二つは暗唱できたものです」

 今でも、芭蕉の生まれ故郷や菩提寺を訪れる人は後を絶たず、多くの人々が芭蕉の旅路をたどって、ゆかりの地へと実際に足を運ぶ。300年も前に書かれた紀行文『奥の細道』は、多くの外国語に翻訳され、時空を越えて、今日もなお世界中の読者の心を魅了してやまない。

 種々の災厄と不確実性に満ちた世界に暮らす私たち現代人は、芭蕉が時折訴えていた漠然とした不安に対して、ある種の親近感を覚えるのではないだろうか。芭蕉が活躍した元禄期(江戸時代中期)の日本も、大きな社会的変革の渦中にあった。彼が心に抱いていた苦悩の原因が何であったにせよ、それが芭蕉の作品に力を与え、また、みちのくへの旅に駆り立てる原動力の一つになったことは確かだろう。

 芭蕉の生い立ちについては諸説あるが、1644年に伊賀国の城下町・上野(現在の三重県伊賀市)に生まれたとされる。父親の松尾与左衛門は下級武士の家系にある人物で、子どもたちに書道を教えて得た収入を、生活の足しにしていたという。芭蕉には兄と4人の姉妹がいたが、おおかた農民になったのだろう。

 連歌から派生した俳諧を好んだ芭蕉は、上野城の重臣の嫡子に仕え、京都の高名な俳人・北村季吟の門下に入ったといわれている。後に芭蕉の作風に大きな影響を与えた中国の漢詩や、荘子の思想に出会ったのも、この時期だったと思われる。芭蕉は主人の死後、一時期京都に遊学したという説もあるが、確かではない。

 やがて俳諧で身を立てることを心に決めた芭蕉は、20代の終わりから30代初めの頃に江戸へ下った。当時の江戸は急激に人口が増え、商業が盛んになっていった伸びざかりの都市だった。

 当時の江戸は、芭蕉が新しい文学を開花させるチャンスをつかむにはまたとない新天地だった。数年のうちに、芭蕉の周囲には多くの門人が集った。そして後援者を得たことも手伝い、後に“蕉風”と呼ばれる俳風を確立していった。

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