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特集

古代エジプトを支配した
ヌビア人の王たち
ブラックファラオ

FEBRUARY 2008

文=ロバート・ドレイパー 写真=ケネス・ギャレット

元前8世紀頃、ほぼ現在のスーダンにあったヌビア地方に、エジプトの伝統をひたむきに守り続けた王たちがいた。彼らはいかにして古代エジプトを支配し、第25王朝を築いたのか。3人の“黒いファラオ”の物語。

 堕落したエジプトを救うには、我々が攻め入るしかない――。紀元前730年、ピイという名の男がそう決断し、血なまぐさい戦闘の火蓋が切って落とされた。「厩舎からえりすぐりの馬を引き出し、鞍をつけろ」。ピイは配下の指揮官たちに命じた。当時のエジプトは小国が割拠して混乱に陥り、大ピラミッド群を建設した偉大な文明は往時の輝きを失いつつあった。ピイはそれまで20年ほど、ほぼ現在のスーダンにあったヌビアを治めてきたが、自分こそはエジプトの真の支配者であると確信し、ラメセス2世やトトメス3世ら歴代のファラオが行ってきた宗教儀式の正統な継承者を自任していた。

 おそらくピイはそれまで下エジプトを訪れたことがなく、古代エジプトの王ファラオの後継者を名乗っても、今一つ説得力を欠いただろう。だが、ピイはこの後、みずからに服従するエジプトをその目でしかと見届けることになる。

 ピイ率いる兵士たちは船に乗り込み、ナイル川を北に下って、上エジプトの首都テーベで船を降りた。この地にあるカルナク神殿には、ピイが自分の守護神とする、牡羊の頭をした太陽神アメンがまつられている。「聖戦の前に、ナイル川で身を清め、上等な亜麻布の衣服をまとい、カルナク神殿の聖水を体に振りかけよ」――。ピイは兵士たちにこう命じたという。

 戦いは1年続いた。戦乱が収まる頃には、エジプトのすべての指導者がピイに降伏していた。ナイル川デルタ地帯のテフナクトですら、伝令を通してこう命乞いした。「どうかご慈悲を! 屈辱にまみれた私は、尊顔を拝めません」

 敗軍の将たちは、命を助けてもらう代わりに、自分たちの神殿をピイの手に委ね、秘蔵の財宝や名馬を差し出した。エジプトとヌビアの君主となったピイは、願いを受け入れた。そして、足下でおののく敗者たちを前に、驚くべき行動をとった。兵士たちに出発の準備をさせ、戦利品を船に積み込むと、南の故郷ヌビアに向けて船出し、二度とエジプトに戻らなかったのである。

 紀元前715年、ピイが死去し、35年に及ぶ統治に幕を閉じると、臣下の者たちは遺志に従って、エジプト式のピラミッドに埋葬し、4頭の愛馬を遺体のそばに埋めた。エジプトで500年以上も前にすたれたピラミッド埋葬の慣行を、ピイは復活させたかったのだ。

 こうした偉業を成し遂げたピイは、どんな顔をしていたのか。残念ながら、手がかりは残されていない。エジプト征服を記録した石碑は見つかっているが、ピイの姿を描いた部分は削りとられている。ヌビアの首都ナパタの神殿にある浮き彫りには、ピイの脚しか残っていない。ピイの容貌について今わかっているのはただ一つ、肌が黒かったということだけだ。

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