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特集

豊かな原油に蝕まれる
ナイジェリア

FEBRUARY 2007

文=トム・オニール 写真=エド・カシ

界第6位の石油輸出量を誇るアフリカのナイジェリア。だがオイルマネーの恩恵にあずかれない庶民は不満を募らせ、政情不安が高まっている。

 ナイジェリア南部では、石油がありとあらゆるものを汚している。パイプラインから漏れ出た石油は、土壌や水を汚染し、石油利権はうまい汁を吸う政治家や軍人の手を汚す。目先のお金に目がくらんだ若者は、オイルマネーの分け前にあずかるためなら、銃撃、パイプラインの破壊、外国人の誘拐など手段を選ばない。

 ナイジェリアは、突如として巨万の富を手にしたせいで、かえって苦境に陥った。1956年に、ニジェール川デルタ地帯の泥地から原油が噴きだすと、人々は繁栄を期待した。しかもナイジェリア産原油、通称“ボニーライト”は、硫黄分が少なく良質だ。ガソリンやディーゼル油への精製コストが安いため、国際石油市場で人気が高い。1970年代半ばに、ナイジェリアが石油輸出国機構(OPEC)に加盟すると、政府予算はオイルマネーで膨れあがった。

 ナイジェリアの未来は、バラ色のはずだった。しかし、どこかで歯車が狂った。

 リバーズ州の州都ポートハーコートには、ゴミの山に埋もれたスラムが何キロにもわたって続いている。食肉処理場からわきあがる悪臭のする黒い煙が、密集した家々にそのまま流れてくる。道路は穴だらけで、学校の運動場にはうさんくさい人間がうろつき、給油待ちの自動車の列に物乞いが群がる。

 ここポートハーコートは、ナイジェリアの石油産業の拠点で、この地下に眠る石油の埋蔵量は、米国とメキシコの埋蔵量の合計を上まわる。にもかかわらず、この都市に輝かしい繁栄はない。あるのは腐敗だけだ。

 郊外には、とうていこの世のものとは思えない、さらにおぞましい世界が広がっている。世界でも有数の湿地であるニジェール川デルタ地帯には、パイプラインがまるで血管のようにすみずみまで広がっている。川の土手にへばりつく小さな町や村にあるのは、土壁のあばら屋と掘っ立て小屋だけ。腹を空かせた裸同然の子どもたちと、職がなく不機嫌な大人たちが、ほこりっぽい小道をあてもなく歩いている。

 電気も水道もなければ、学校もない。漁師の網は乾ききり、丸太をくりぬいて作った小舟は川岸に放置されている。原油の流出、油田でのガス燃焼が引きおこす酸性雨、パイプライン敷設に伴うマングローブ林の伐採によって、川の魚はとっくに死にたえてしまった。

 1960年当時、ナイジェリアの輸出品といえばパーム油やカカオ豆などの農産物ばかりだった。ところが今日では、これらの産物が輸出品目に挙がることすらまれだ。かつては食料を自給自足していたアフリカ最多の1億3000万人の国民は、いまでは輸入に頼って生きるしかない。石油は輸出額の95%、国の歳入の80%を占めるが、精油所が故障続きのため、自国で消費する燃料の多くを輸入しなくてはならず、ガソリン不足でスタンドが閉鎖になることも多い。世界銀行は、武力衝突や感染症のリスク、統治機能の不全などを理由に、ナイジェリアを「脆弱国家」と位置づけている。

 ナイジェリアの危機的状況は、2006年からいっそう深刻さを増してきた。“ニジェール川デルタ解放運動(MEND)”と称する覆面武装勢力が、シェル・ナイジェリア社が運営する油田やガソリンスタンドなどをひんぱんに襲撃しているのだ。こうした武装勢力は、兵士や警備員を殺害し、石油会社の外国人従業員を誘拐する。

 デルタ地帯の町ウォーリでは、中国系石油企業の重役の訪問に反対して、自動車に爆弾をしかけた。さらには、ギニア湾の沖合46キロの海上にある油井まで占拠した。こうした襲撃により、ナイジェリアは日産50万バレル以上もの原油を供給できなくなり、OPECの定める原油生産割り当てを維持するために、備蓄分に手をつけるはめに陥った。

 天然資源を足がかりに成長するはずだったナイジェリアだが、いまはオイルマネーだけが命綱の三等国だ。人々は富の分け前にあずかるために、汚職や破壊活動、殺人さえもいとわない。デルタ地帯で石油の掘削が始まって半世紀たつが、皮肉にも国民は豊かになるどころか、ますます貧しくなり、希望を失った。

 デルタ地帯の東側に浮かぶボニー島の西端に、フィニマという村がある。石油と天然ガスの採掘コンビナートに近いこの村の礼拝堂で、漁師のフェリックス・ジェームズ・ハリーがぼやいた。「魚が獲れなくなった。これでは暮らしていけない」。30歳のハリーは二人の子供の父親で、今日の午後も、本来なら小舟でザリガニやイワシなどの漁に出るはずだった。それなのに、ほかの漁師たちといっしょに、蒸し暑い礼拝堂で暇をつぶすしかない。

 彼らの村は、もともと小さな入り江の反対側にあった。しかし1990年代初めに移住させられ、いま村の跡には、巨大な燃料備蓄タンクが並び、液化天然ガスプラントが高くそびえている。村の収入は不安定になり、「もう家族を養えなくなった」とハリーは言う。

 移転した新しい村は、家々が密集し、窓を開けると隣家の壁が目に飛びこんでくる。そんな狭苦しい環境のなかで、男たちは自然の豊かな昔の暮らしを懐かしむ。「天然ガスプラントができる前は、森が村を東風から守ってくれていた。ところがいまは、風雨をまともに受けるから、3カ月おきに屋根をふきかえなくてはならない。昔は半年以上もったのに」と、村の代表を務めるソロモン・デビッドは嘆く。

 別の漁師によると、大規模プラントが建設され、船の往来が激しくなったせいで、波の動きが変わり、沿岸が浸食されて魚が寄りつかなくなったという。「魚が獲れる沖に出るには、55馬力のエンジンが必要だ」。だが、そんなエンジンを買える漁師はここには一人もいない。

 漁が立ちゆかなくなったいま、村の若者は石油産業の仕事に希望をつなぐ。だが求人はめったにない。「よそ者が仕事を独占しているんだ」とハリーは言う。よそ者とは、ナイジェリアの多数派部族イボ、ヨルバ、ハウサ、フラニで、国の政治と経済は彼らに牛耳られている。

 デルタ地帯の住民が冷遇されているのは、彼らが経済的に重要でないからだと、ソーシャル・アクション・ナイジェリアという社会改革グループを率いるアイザック・アスメ・オスオカは主張する。「オイルマネーさえ入ってくれば、住民からの税収を当てにしなくてすむ。そうなると、国にとって彼らはお荷物でしかない。だから政府は、学校や病院をつくろうとしない」

 「一つだけ断言できるのは」とオスオカは言い放った。「ナイジェリアは石油が見つかる前のほうが良かったということだ」

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