/2006年12月号

トップ > マガジン > 2006年12月号 > 特集:あなたに忍び寄る身近な化学物質


最新号

翻訳講座

ナショジオクイズ

発情期、雄のクロザルの陰嚢がある状態になっていると多くの雌を惹きつけるそう。その状態とは?

  • 鮮やかな赤色をしている
  • 地面につくほど長い
  • 風船のように膨らんでいる

答えを見る

ナショジオとつながる

メールマガジン無料登録(週2回配信)

メルマガ登録の詳細はこちら


特集

あなたに忍び寄る
身近な化学物質

DECEMBER 2006

文=デビッド・ユーイング・ダンカン 写真=ピーター・エシック

代人の便利な暮らしを支える、さまざまな化学物質。だが、その中には体内にいつの間にか入りこみ、長年蓄積されるものもある。(この記事は2006年12月号に掲載されたものです。)

化学物質の取材のため、私はみずから実験台を買って出た。

 するとある日、スウェーデンの化学者から、なんとも気がかりな電話がかかってきた。「難燃剤」をご存知だろうか。マットレスやカーペット、テレビやパソコンのプラスチック部分、電子回路の基板、自動車……燃える可能性があるものなら何にでも、安全のために添加されている化学物質である。難燃剤は火災の防止に役立ち、そのおかげで米国だけでも年間に何百人もの命が助かっている。ところが、その難燃剤が、あってはならない場所--こともあろうに、私の体内にあるという。

 電話をかけてきたのは、ストックホルム大学のオーケ・ベリマン博士だ。私の血液に含まれる化学物質の分析結果が手元に届いたところだという。難燃剤の成分であるポリ臭化ジフェニルエーテル(PBDE)の、血液中の濃度も測定された。高濃度のPBDEは、マウスとラットの動物実験では甲状腺の働きを妨げ、生殖系や神経系に障害をもたらし、神経系の発達を阻害するというが、人体への影響はあまりわかっていない。「神経質にならなくていいと思いますが、きわめて高い値です」と、博士は告げた。私の場合、米国製品に多く使われている、PBDE類の中でも特に毒性の高いタイプの血中濃度が、米国で実施された小規模な調査の平均値の10倍、スウェーデンの平均値の200倍以上もあるという。

 この記事を書くにあたって、私は「自分の体内の化学物質」をめぐる旅に出た。昨年の秋には320種類もの化学物質について検査を受けた。食べたり飲んだり、大気中から吸いこんだり、皮膚に触れたりして、体内に吸収された化学物質の中には、有機塩素化合物のDDTやPCBなど何十年も前にさかんに使われていた物質もあれば、鉛、水銀、ダイオキシン類などの環境汚染物質、最近の殺虫剤やプラスチックに含まれる物質もある。いい香りのシャンプーや焦げつかないフライパン、防水性や難燃性の繊維に使われ、暮らしの隅々に浸透している魔法のような物質もある。

 今回のように微量の物質まで調べる場合、対応できる検査機関はわずかしかない。また検査には通常、1万5000ドル(約180万円)前後の費用がかかる。個人で受けるにはあまりに高額だが、今回は「ナショナル ジオグラフィック」誌の取材費でまかなった。検査の狙いは、先進国に暮らすごく普通の現代人の体内に、どんな物質が蓄積されているのか、そしてそれらの物質がいつどこで体内に入ったのかを確かめることだ。

化学物質にはリスクもあるが、メリットもあり、わかっていないこともまだまだ多い。

 リスクの回避と便利さのどちらを優先すべきかは、難しい選択だ。自分の体内にどんな化学物質があるのかを調べてみれば、この問題を考える糸口になりそうだ。だがそのために私は、知らないほうがよかったことまで知る羽目になった。

 血液検査で見つかった難燃剤の成分は、いったいどこから私の体内に入りこんだのか。この謎を解こうとベリマン博士は、電話の向こう側のストックホルムから、私を質問攻めにした。

 最近、家具か敷物を新調したことは? デスクトップ・パソコンの前で長時間過ごすか? 家の近くに化学工場がないか?--どれも身に覚えがない。そのうちに、ふと思いついて、「飛行機は関係ありますか」と聞いてみた。「なるほど、よく乗るんですか?」「ええ、去年なんかマイレージが20万マイル近くもたまりましたよ」

 ベリマン博士は、航空機内のPBDEが人体に与える影響にかねてから関心があったという。安全基準を満たすために、航空機の内装に使うプラスチックや布には難燃剤がたっぷり含まれている。「乗務員の体内の、PBDE濃度を調べてみたいと思っていたところなんです」

 今のところ、PBDEと飛行機の関連は推測にすぎない。こんな物質のことなど、検査を受けるまで聞いたこともなかった。いったいどこで体に入りこんだのか。もっと気になるのは、その値が高いと何か問題があるのかどうかだ。

 もちろん、ほかの化学物質も心配だ。水銀、PCB、そしてベトナム戦争で使われた枯れ葉剤の成分として悪名高いダイオキシン類……身近な化学物質のなかには、人間の体内に大量にとりこまれると恐ろしい影響をもたらすものもある。だが、ごく微量の化学物質が体内に入ったからといって、たいした影響はないはずだ。化学業界の御用学者に限らず、このように考える毒物学者もかなりいる。

 たしかに、水銀などの有毒物質でも、繰り返しその物質にさらされないかぎり、数日から数週間で体外に排出される場合もある。それでも、統計上はここ数十年で人々の健康状態は多くの点で改善しているのに、原因不明のまま増えている病気がいくつかある。米国では1980年代前半から90年代後半に自閉症の患者数が10倍になり、70年代前半から90年代半ばにかけては、男児の先天異常が2倍になり、ある種の白血病が62%増え、小児の脳腫瘍が40%増えている。

 食品や水、大気中などに存在する人工の化学物質との関係を疑う専門家もいるが、確かな証拠は乏しい。しかし年月とともに、当初は無害とされていた物質による被害が表面化し、安全説がくつがえされる例が相次いでいる。DDTもPCBもそうだった。化学業界がさまざまな物質を市場に送り出し、健康に及ぼす影響が後で判明するという事態が繰り返されている。これでは子どもたちで人体実験をしているようなものだと、環境健康学を専門とする小児科医レオ・トラサンド博士は訴える。

 私たちの体は、化学物質にどの程度侵されているのだろうか。大規模な実態調査は、米国でも最近まで行われていなかった。調査を義務づける規制がないうえに、高額な費用がかかり、そんな微量の物質を測れる高感度の測定技術も確立されていなかったためだ。

1/4 pagesNext


ナショナル ジオグラフィック日本版 バックナンバー