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特集

あなたに忍び寄る
身近な化学物質

DECEMBER 2006

体内の化学物質をめぐる私の旅は、ニューヨークから始まった。

 10月のある朝、マウント・サイナイ病院を訪れた私は、分析用の尿と血液の採取に臨んだ。立ち会ったトラサンド博士は、水銀などの神経毒が子どもに及ぼす影響を研究していて、ほかの数人の専門家とともにこの企画の指導を引き受けてくれた。用意された採血容器は全部で14本もあり、12本目あたりで頭がふらついて冷や汗が出てきたが、どうにか最後までこぎつけた。

 検体容器におさまった私の血液は、カナダのバンクーバー島にある分析機関「アクシス」に送られた。ここは化学物質の微量分析を専門とする世界でもトップクラスの研究所で、研究者や政府機関の依頼を受け、ワシの卵から人間の組織まであらゆるものを分析している。自分の体内に潜む化学物質を調べる現場を見せてもらおうと、私も数週間後にカナダへ飛んだ。

 私の尿にも血液にも、自然界にある化学物質や人工の化学物質が何千種類も含まれている。そこから何段階もの処理を経て、狙いを定めた物質を分離していくのだ。抽出したサンプルは、質量分析装置のあるクリーンルームへ運ばれる。真空の長いチューブに試料を注入し、磁場を通り抜ける際の軌道の変化を測れば、分子の大きさと種類がわかるという。

 体内に蓄積された化学物質の標準的な測定単位としては、10億分の1というごく微少な濃度を表す「ppb」が使われる。数週間後に届いた検査結果には、ppb、さらにはppt(1兆分の1)といった単位の数字がずらりと並んでいた。こうした有毒物質がいつどこで体内に入ったのか、解き明かすのが次の課題だ。

 体内で見つかった化学物質の一部は、胎児の頃に母親からもらったものだ。母親の体内にあった化学物質が、へその緒と胎盤を通って私の体に入りこんだ。生まれた後に、母乳経由で入ってきたものもある。

 乳離れしてからも、知らないうちに化学物質をためこみながら成長した。少年時代を過ごした米カンザス州では、蒸し暑い夏になると、郊外のゴミ捨て場で毎日のように遊びほうけた。ゴミ捨て場は石灰岩の高い崖の上にあり、見下ろすと茶色い水をたたえたカンザス川の流れやポプラ並木、鉄道の線路が見えた。

 時代は1960年代後半。後にこのゴミ捨て場が、米環境保護局によって土壌汚染対策法、通称「スーパーファンド法」の指定地になるとは、当時の悪童たちは知るよしもなかった。ここには企業や個人が長年にわたり、有毒な化学物質を含む廃棄物を大量に捨てていたのだ。「もともとはゴミの埋め立て処分場でした」と、地域の規制当局の代表デニース・ジョーダン=イサギーレは説明する。「当時は埋め立て処分に関する規制などなく、金属の鉱滓や重金属も捨てられていました。立入禁止の表示や囲いもなく、子どもたちも自由に入れたんです」

 私も、そんな子どもの一人だった。

 今ではこのゴミ捨て場は汚染対策の指定地「デプケ=ホリデー・サイト」となり、廃棄物を完全に封じこめたうえで厳重に管理されている。川の上流1キロ弱のところには郡の上水道の取水場があり、くみ上げた水は地域の4万5000世帯に給水されていた。1960年代には郡当局が川からくみ上げた水を浄水処理していたが、すべての汚染物質が除去されていたわけではない。デプケ近くの地下水を水源とする21カ所の井戸からも、飲料水がくみ上げられていた。

 子どもの頃、わが家のある一帯は環境のよくない地区で、汚染源はゴミ捨て場だけではなかった。数キロ先の川沿いは自動車、石けん、肥料や農薬の工場が並ぶ工業地帯だった。発電所の煙突は白い煙を吐き、肥料工場の煙突は炎を上げてナトリウムの黄色い煙をたなびかせていた。家畜などの排泄物は川に捨て放題で、近くの農地ではトラックや飛行機でDDTなどの農薬を散布していた。まかれた農薬が雲のように広がると、私たち悪童は息を止めて自転車でその中を一気に走り抜け、「どうだ、すごいだろう」と得意になっていた。

 1970年代になると米国では大気浄化法や水質浄化法が整備され、環境の浄化が進んだ。今ではこの一帯の空気はきれいになり、川に排水がたれ流されることもなくなった。それなのに私の検査結果は今も、40年前の汚れきった環境の痕跡をとどめている。私の血液からは、昔使われた殺虫剤の成分(クロルデン、ヘプタクロル)やDDTの分解産物など、今では使用が禁じられたり厳しく規制されたりしている化学物質が、ちょっぴりずつだが検出された。

大学に通いはじめた私は、新たな化学物質の洗礼を受けた。

 ポリ塩化ビフェニル(PCB)だ。当時は変圧器などの電気絶縁体や熱媒体などとして広く使われ、ゴミ処理場や工場などがあった土壌に潜んでいる可能性がある。

 ニューヨーク州のハドソン川流域は1940~70年代、ひどいPCB汚染にみまわれた。川沿いの町ハドソン・フォールズとフォート・エドワードの工場で、ゼネラル・エレクトリック(GE)社がPCBを使用していたからだ。70年代後半に私が通ったバッサー大学は、GEの工場から225キロほど下流の町ポキプシーにある。

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