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不可能への挑戦 登山家メスナー
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。

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文=キャロライン・アレキサンダー 写真=ビンセント・J・ミュージ

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登山史に残る数多くの偉業を達成してきたラインホルト・メスナー。生涯を山に捧げてきた彼の壮絶な生きざまを描き出す。

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 どんなに切りたった岩の壁面にも、頂上制覇につながる登攀ルートがあり、登山家はそれを「ライン」と呼ぶ。ラインホルトにも、人生を切りひらいて、進むべき道をはっきりと示すラインがあった。それは1970年、ナンガ・パルバットを目指すジーギ・レーブ追悼記念遠征隊への参加だ。パキスタン北部のナンガ・パルバットは標高8126メートルで、世界に14座ある8000メートル超の山のなかで9番目の高峰である。

 初登頂を果たしたのは、オーストリアの登山家ヘルマン・ブールで、1953年のことだったが、それまではいくつものチームの挑戦がことごとく失敗に終わり、多くの犠牲者を出していた。「あのころ、技術的にいちばん難しい登攀は、どこかの山頂に到達することではなくなっていた。少なくとも私の周囲では、ナンガ・パルバットの南にあるルパール壁が最大の難関だとみられていた」とラインホルトは回想する。

 遠征隊を率いたカール・マリア・ヘルリヒコッファー自身は登山家ではなかった。だが、異母兄弟であるヴィリー・メルクルがナンガ・パルバットで生命を落としていたため、白鯨を追い求めるエイハブ船長さながらに、ナンガ・パルバットへの復讐に燃えていた。

 荒天のなか7350メートル地点にキャンプが設営され、ロープが固定されたのは1970年6月26日だった。ここはメルクル・クーロアールとも呼ばれていて、垂直方向に伸びる長い峡谷が頂上へのルートになっている。すでに一度アタックが中止になり、予定は何週間も遅れていた。そしてラインホルトとギュンター、それにゲルハルト・バウアは、クーロアールのふもとにある第5キャンプの3人用テントで、最終アタックに備え、入念な計画を練っていた。

 翌日の天気予報がわかりしだい、ベースキャンプから第5キャンプに向けて信号弾を飛ばすことになっていた。悪天候の予報だと赤い炎、好天の予報であれば青い炎が焚かれるのだ。赤ならば、ラインホルトが単独で頂上をめざし、青ならパーティーで出発することになっていた。夜8時、空に光ったのは赤い炎だった。

 翌早朝、ラインホルトは暗闇のなか登攀を開始した。装備はピッケルとアイゼンだけだ。ギュンターとバウアは、下山時の足がかりにするため、ロープを固定する作業に取りかかる。それまでの登山では、ギュンターはかならず最後までラインホルトと行動をともにしていたが、今度はちがう。いつもリーダー役を務め、自分のやりたいようにやってきた兄が、栄光に輝く頂上をめざしているのに、自分は下に残り、凍りついたロープと格闘している――。

 そのとき、ギュンターの心のなかで何かがはじけた。彼はロープを投げすて、急ぎ足で兄を追いかける。それから4時間で、ギュンターはメルクル氷原を高さにして600メートルも登っていた。「ギュンターは私に追いつくために、限界ぎりぎりまでがんばった」とラインホルトは述懐する。

 ギュンターの驚異的ながんばりは、すぐに報われた。その日の午後5時、兄弟は山頂で固く手を握りあった。それから1時間というずいぶん長い滞在の後、二人は下山を始める。だが体力を消耗し、動きが鈍くなっていたギュンターには、登りと同じルートは難しすぎた。

 危険を察知したラインホルトは、より短時間で下山できるルートを探しながら、尾根の西側に回りこむ。そこで日が暮れ、兄弟は身体を寄せあって最悪の夜を迎えた。気温はマイナス40℃まで下がった。兄弟を寒さから守ってくれるものは、1枚の薄っぺらな緊急用ブランケットだけだった。標高8000メートルを超える「死の領域(デス・ゾーン)」で、食糧も水もないまま何時間も耐えるうちに、ギュンターは幻覚を起こし、ありもしない毛布を手でまさぐった。

 ラインホルトは語る。「きわめて危険な状況だった。これほどの高度になると、血液に充分な酸素が行きわたらなくなって、体温が上がらない。そんなとき、人間は血液を循環させるため、本能的に眠るまいと必死になるんだ。私たちも『つまさきを動かせ、眠っちゃだめだ』とおたがいを励ましつづけた。ここで眠ってしまったら、その先に待っているのは死だけだ」

 夜明けを迎えるころ、ギュンターの状態は一刻を争うまでになっていた。そのとき、ようやく救いの手がさしのべられたかにみえた。第4キャンプから登ってくる、ペーター・ショルツとフェリックス・クーエンの姿が見えたのだ。二人は兄弟が切り開いたルートを苦労しながら進んでいた。だが兄弟と彼らのあいだにはサッカー場ほどの距離があって、大声で叫び交わしても思うように意思の疎通は図れなかった。

 それから起きたことは、ナンガ・パルバットの悲劇のなかでも、いちばん謎の多い部分だ。理由はどうあれ、メスナー兄弟が危機的状況にあることは、ショルツたちにはうまく伝わらなかった。そして兄弟のほうも、出発前夜に打ちあげられたロケットが誤りであったことなど知る由もなかった。実際にはまたとない好天で、ショルツとクーエンは兄弟を助けに来たのではなく、頂上をめざしていたのだ。

 仲間の助けを得られないと知ったラインホルトは決断を下す。ギュンターとともに、山の反対側に位置するディアミール壁から下山することにしたのだ。「頂上近くの高いところからだと、ディアミール壁はなだらかな雪の斜面に見える」と、米国人のスティーブ・ハウスは説明する。ハウスは2005年、パートナーのヴィンス・アンダーソンとともに、ルパール壁をアルパインスタイルで登頂している。「最初のうちはほとんど平坦で、とても歩きやすい。いっぽうルパール壁は巨大で危険だ。メスナーがあのルートに決めたのは合理的な選択だったと私は思う」

 ラインホルトは本能に突き動かされて進んでいった。6500メートル地点で日が暮れ、兄弟は短時間の野営(ビバーク)をした。翌日は強烈な日差しの中を下りつづけた。6000メートルあたりで、ギュンターの体調がいくぶん良くなった。ここまで来れば、一気に下山できそうだ。

 「何となくだがルートが見えてきたのは、2度目のビバークのあとだ。ふもとの少し離れたところから見あげれば、山の全体像はつかめるが、上からでは、そうはいかない。上からのぞくと、大きく落ちこむ奈落しか見えないんだ。右へ行くべきか、左へ行くべきか判断できない。だから、私がひとまず先に下るしか方法はなかった」とラインホルトは振り返る。

 先に下りはじめたラインホルトとギュンターとのあいだには1時間ほどの開きが出ていた。もう弟の姿は見えないし、声も聞こえない。スピードが代名詞のラインホルトだが、自分の超人的な速さを理解していなかったのかもしれない。彼は本能の命じるまま、転がるようにナンガ・パルバットを下っていった。途中の小川で4日ぶりに水を飲んでひと息つき、ギュンターが追いつくのを待った。しかし、いくらたってもギュンターは現れなかった。

詳しくは本誌をお読み下さい。


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特集関連の豆知識

 1991年、ラインホルト・メスナーの自宅であるユーバル城の背後にそびえるアルプスの山で、アマチュア登山家がゆっくりと自然解凍している男性のミイラを発見した。このミイラの発見は大きく報道され、発見された場所がエッツタール渓谷だったことから、「エッツィ」と呼ばれるようになった。遺骸は完全な形で残っていて、周囲には彼の持ち物が散乱していた。そのなかには、弓や、石矢が入った矢筒、短剣、さらには欧州で見つかっている中では最古の、完全な形の銅の斧もあった。

 エッツィを分析した科学者によると、身体の組織と衣服の繊維を年代測定した結果、紀元前3200年頃のものと判明したという。このミイラから、アルプスで暮らしていた人々の生活の詳細があきらかになった。例えば、この男性は寒さから身を守るために、植物を編んで作ったケープと、ヤギ、シカ、クマの皮を組み合わせ、さらに枯れ草で裏打ちした靴を身につけていた。彼の身体の数カ所にみられる線状の刺青(いれずみ)は、今も謎のままだ。最も興味深いのは、この男性は、当初考えられていたように、吹雪に行く手を阻まれ凍死したのではないという点だ。5年ほど前、レントゲン写真を撮ってみると、エッツィの胸には突き刺さった矢じりが残ってたのだ。

 エッツィは現在、イタリアのボルツァーノにある南チロル考古学博物館に最新技術を駆使してつくった氷穴のなかに保存され、展示されている。

博物館のサイト:
http://www.archaeologiemuseum.it/index_ice.html

――ナンシー・マコウスキー

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関連リンク

8000メートル・コム:世界最高峰の山々と、最近の登頂者についての情報が掲載されている。
http://www.8000metres.com/

ラインホルト・メスナー公式サイト(ドイツ語のみ):メスナーの登山記録や出版物、メスナー山岳博物館の詳細など。
http://www.reinhold-messner.de

南極探検の歴史:写真やイラストを交え、南極探検の歴史を紹介している。本文は、ラインホルト・メスナーの共著。
http://www.oneworldmagazine.org/focus/southpole/histmain.htm



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