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特集





米国:イエローストーン国立公園(画家トーマス・モラン)>>
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ブラジル:セーハ・ドス・オルゴンス国立公園>>
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ナミビア:ナミブ・ナウクルフト国立公園>>
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ニュージーランド:オークランド諸島国立自然保護区>>
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エクアドル:ガラパゴス国立公園>>
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タンザニア:セレンゲティ国立公園>>
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写真=William Henry Jackson
Courtesy East Hampton Library, Long Island Collection
文=クリス・ジョンズ デビッド・クアメン

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人間社会の圧力を受け、世界各地の国立公園が危機にさらされている。長期の理想と目先の実利のあいだで揺れる公園の未来を探る。

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 風景と記憶が心の中で結びついた、特別な場所。素晴らしい自然の恵みと社会の合意が作り上げた、かけがえのない土地。私たちはそれを「公園」と呼び、ごく当たり前の存在と考えている。そのなかには米国のイエローストーン国立公園や南アフリカ共和国のクルーガー国立公園のように、広大な土地と荘厳な景観を持つ自然公園もある。一方、パリのにぎやかな一角にあるビュット・ショーモン公園のように、地域にとけ込んだ身近な憩いの場もある。

 公園に心の安らぎを求める人々の思いはかつてないほどに強まっているが、その多くは人間社会から圧力を受け、危機にさらされている。

 今回、本誌はかけがえのない自然の宝、公園の問題を取り上げる。最初は世界の国立公園における「公園と人間」の対立にまつわるエッセー。続いて米国の公園の歴史をたどり、国立公園制度が直面している危機を検証する。さらに日本の国立公園はなぜ国民からの関心が低いのか、その抱える問題を探り、最後にフランスのパリで、都市環境で公園が果たす役割を考える。

 「すべての風景は、人間の強い思い入れを映し出す鏡だ」と、ある歴史家は語った。公園の風景は、人間の最良の面を映し出しているのかもしれない。

――クリス・ジョンズ(本誌英語版編集長)

理想と実利の狭間に揺れる

 国立公園は多くの場合、矛盾を抱えた存在である。夢の楽園でありながら将来を現実的に見据え、人々のためのものでありながら人々の犠牲を伴い、地域に根ざしつつも世界レベルの重要性を持っている。

 国立公園は、象徴的な存在である。だが国歌や国旗とは異なり、そこには生き物が暮らし、地理的な境界があり、経済活動が伴う。国立公園は、永遠に守るべき対象として社会が選んだ自然の聖域なのだ。

 だが、ここでいう「永遠」とは、いったいどれぐらいの期間をさすのだろうか?

 ここ20年間、国立公園の概念そのものに対して、ある種の疑問が呈されてきた。特にその例外を許さない厳格な保護のやり方が批判の対象になっている。

 端的に言えば、この論争のテーマは「公園対人間」である。自然の一部に境界線を引いて公園と名づけ、その土地で何とか生計を立てたいと願う貧しい人々を追い立てたり排除したりするだけでは、自然保護の目的は達成できないという考えが、批判の根底にある。この点については、批判派の声にうなずくしかない。地球上に65億人もの人々が暮らしている現在、人間の立ち入りを禁ずることだけに頼った自然保護のアプローチは、政策として現実的ではない。

 さらに、こうしたやり方は人道的でないし、公正だとも言いがたい。国立公園の恩恵を受けるのは、もっぱら公園から遠くに暮らす豊かな社会の住人たちであり、負担を強いられるのは、近くに暮らす無力で貧しい人々だからだ。「動物たちを救え、人間を立ち入らせるな」と声高に叫ぶのは、効果的な戦略ではないし、またそうすべきでもない。

 批判派の主張を極論すると、国立公園をつくって自然と生物の多様性を守ろうとするやり方は、文化的帝国主義に根ざしたエリート意識の産物ということになるのだろう。  一方、それとは正反対の極論もある。誰が何と言おうと公園は公園として守るべき。そのために金網のフェンスと武装した警備員が必要なら、そうすればいいというものだ。

 どちらの見方も、間違いではないし、完全に正しいわけでもない。しかし、両者の間で折り合いをつけるのも容易ではない。

 2005年5月、100人以上の武装した住民がグアテマラのラグーナ・デル・ティグレ国立公園の研究管理事務所に押しかけ、公園内に居住する権利を求めてしばらく交渉した末に、4人の人質を取って立てこもるという騒ぎがあった。結局、地元の州知事は住民の要求を受け入れ、人質の解放と引き換えに物質的援助を約束した。

 その4カ月後にはケニアで、観光・野生生物の担当大臣がアンボセリ国立公園を国の自然保護区に格下げし、その土地をもともとの所有者であるマサイ族に返還すると発表した。多様な生態系を誇るアンボセリは、特にゾウの生息地として知られ、アフリカ東部では屈指の自然保護の成功例となっていた。それだけに29の自然保護団体がケニア大統領に公開書簡を送り、一方的な格下げに抗議した。

 人々が長期的な理想より目先の利益を優先させている限り、国立公園を格下げしようとする動きは今後も世界各地で噴出するだろう。国立公園は、常に政治と時流に左右される。どんなに高潔で先見性のある決定も、いずれは覆される可能性があるのだ。

 もちろん、国立公園という制度だけが自然を守る手段のすべてではない。ほかにも様々な自然保護の仕組みがあり、多くの国々がそれらを取り入れている。野生生物保護区や禁猟区、自然指定地域、さらにマダガスカルには統合自然保護区、ロシアにはザポベドニック(厳正自然保護地域)といった枠組みもある。

 ただし、国立公園とまったく同じ意味をもつものは一つもない。国民がその貴重な自然を守りつつ利用するという点で、国立公園は特別な制度といえる。

 たとえばタンザニアのセレンゲティ国立公園の場合、地元の人々は一定の不便さを受け入れるかわりに、野生のライオンたちが暮らす広大な草原の恩恵を得た。それが今では格好の観光資源となっている。エクアドルのガラパゴス諸島が国立公園になっているのは、この国の人々がガラパゴスの驚くべき生物多様性を理解しているのみならず、ダーウィンの発見をもたらした土地という大きな功績をよく認識していることの証しでもある。

 インドネシア・ジャワ島の西端にあるウジュン・クロン国立公園は、絶滅寸前とされるジャワサイの保護に力を注ぐという約束を高らかに宣言しているし、ニュージーランドのフィヨルドランド国立公園は、この地域が南半球におけるノルウェーのような自然をもつことを私たちに思い起こさせてくれる。

 国立公園が複雑でわかりにくいのは、公園によって誕生の経緯が様々で、その意味が時代とともに変化してきたからだ。

 たとえば、インド北西部のギル国立公園。グジャラート州の町ジュナーガド近郊に広がる乾燥林と岩山に囲まれたこの地域が、国立公園に指定されたのは1975年のことだ。一方、その周囲を取り巻くギル野生生物保護区は1965年に誕生した。

 この保護区は、国立公園とはやや異なる規則の下で管理されていて、牧畜を営む先住民マルダリが居住を認められている(住めるのはドーナツ型の保護区内のみで、中心部の国立公園は居住禁止)。国立公園と保護区を合わせた総面積は約14万ヘクタールで、ここはインドライオンの最後の生息地だ。ヒンドゥー教の信仰において重要な位置を占めるインドライオンは、数十年前まではインドの「国獣」とみなされていた。

 現在、ギルのインドライオンは狩猟などの脅威から厳重に守られている。だが今から100年以上前、この地方を治めていたジュナーガドの太守(ナワーブ)が先見性のある行動をとらなかったら、国立公園も野生生物保護区も存在していなかったはずだ。

 太守にとって、インドライオンは何よりも狩猟用の動物として貴重な存在だった。だが、この太守も猟場の番人の報告などから、ギルのライオンを多く狩りすぎて生息数がぎりぎりまで減っていることは理解できた。そこで20世紀の初め、太守はライオン狩りを一時的に禁止するというお触れを出し、ギルの森を事実上の野生生物保護区とした。

 この狩猟禁止令は、高潔な動機によるものではない。太守は領地内にライオンがいることが自慢で、客人と狩りに興じるのが好きだったが、狩猟を禁止しないとライオンがいなくなり、客人を接待できないと考えたのだ。それでも太守の狩猟禁止令は結果的に、インドライオンを絶滅から救おうとインド国民全体が決意するきっかけになった。

 南アフリカのクルーガー国立公園とオーストラリアのカカドゥ国立公園では、時に矛盾をはらむ政治的な駆け引きが自然保護の出発点となった。

 クルーガーが国立公園に指定されたのは1926年。地元の黒人にとっては、代々暮らしてきた土地の運命にかかわる重要な出来事だったが、当時の白人政府は彼らにほとんど配慮しなかった。だが、強引な指定から生まれた国立公園は、今や、植民地支配とアパルトヘイト(人種隔離政策)を乗り越えた新生南アフリカの大きな収入源となっている。

 一方、カカドゥは1979年から91年にかけて段階的に国立公園に指定されたが、背景にはいささか風変わりな当事者間の合意があった。先住民アボリジニは先祖代々の土地に対し、少なくとも一部の公的権利は得たいと望み、オーストラリア政府は連邦直轄地であるノーザン・テリトリーの湿地に自然保護地域の設置を目指し、そして鉱山採掘権を持つ鉱山主は、早く採掘作業を始めたいと主張した。カカドゥには、世界で最も広いクロコダイルとバタンインコの生息地があるが、公園内ではウラン鉱山も操業している。

 カカドゥ国立公園のすぐ東隣には、広大なアボリジニの居住区域アーネム・ランドがある。この一帯は人間と自然の共生が世界で最もうまくいっている場所の一つだが、アンボセリやギルといった国立公園と同じ問題を抱えている。一つひとつの公園の広さには限りがあり、そこに含まれる生態系をすべて保護するには不十分なのである。

 生態系には、河川の水源から下流まで、食物連鎖の上から下まで、そして人の営みまですべての要素が含まれる。また、生息密度の低い生物が必要な個体数を維持するためには、きわめて広大なエリアが必要になる。
 国立公園の境界線は、ほぼ例外なく人為的に引かれたものだ。そのため、境界内の動植物を支える生態系をすべて含んでいるわけではない。境界線は、単なる法律上の取り決めにすぎない。国立公園を生きた細胞にたとえれば、境界線という細胞膜は、細胞の生命活動を支える物質が出入りできるように、常に通り抜け可能な状態になっている必要がある。

 米国で最初に誕生した国立公園、イエローストーンも、同じ限界を抱えている。公園の面積は約90万ヘクタールで、森や草原、河川や湖沼を含む、2辺が100キロと90キロほどの四角い領域だ。公園としてはかなりの広さだが、グリズリーの個体群を長期的に維持するには、それでも十分ではない。

 この地域を象徴する動物であるグリズリーがいなくなったら、イエローストーンに残るのはきれいな風景だけになってしまうだろう。そんな事態は誰も望んでいない。だからこそ、この地域のグリズリーに関するすべての議論は、国立公園の境界線でなく、もっと広い大イエローストーン生態系(GYE)の枠組みに基づいてなされている。

 GYEは、ひと続きになった森林など連続性の高い地形からなる広大な地域で、アメーバのような形をしている。そこにはイエローストーン国立公園以外に、グランド・ティートン国立公園、6カ所の国有林の一部、その他の国有地と私有地も含まれており、総面積は720万ヘクタールを超える。グリズリーは地図上の境界線にとらわれることなく、この地域を自由に動き回っている。

 イエローストーン国立公園に生息するグリズリーたちは、谷間に咲くクローバーを食べたり、川のほとりでヘラジカの死体にかぶりついたりしながら暮らしている。そんな姿を将来の世代も見られるようにするには、公園内だけでなく公園外の生息地も可能なかぎり保護する必要があるだろう。しかし、それでもまだ足りないかもしれない。

 もともとグリズリーの保護は、イエローストーン国立公園の創設を定めた1872年の法律に明記された目的ではない。イエローストーン国立公園法は公園の境界線を決めた際に、この土地は「市民の利益と楽しみのため、公共の公園または娯楽用地として供用・指定する」もので、ここに入植しようとする者は不法侵入者とみなされると述べているにすぎない。ほかの法律と同じように、イエローストーン国立公園法も制定当初の条文の解釈を微妙に変更して、適用範囲を広げながら運用されているのだ。

 社会環境や価値観は常に変化しているが、それは必ずしも国立公園をはじめとする自然保護地域に追い風となる変化とは限らない。アンボセリ国立公園のケースが物語るように、変化が保護に逆風となることもある。米国アラスカ州の北極圏国立野生生物保護区(ANWR)で、石油採掘の是非をめぐって様々な議論がなされているのも、そうした例の一つだ。

 私たちが十分な注意を払っていれば、この問題を警告として受け止められるにちがいない。イエローストーンもギルもセレンゲティも、すべて国立公園から格下げされる危険性をはらんでいる。人口が増え、人々の欲求が高まることで強い圧力が生まれ、それが自然を守ろうとする人々の意志を上回った瞬間、その脅威は現実のものとなる。いずれにせよ、素晴らしい自然を守り、将来の世代に伝える努力を続けることが重要だ。

 自然保護の専門家はときに、「勝利は一瞬、敗北は永遠」という言葉を口にする。この言葉はANWRをめぐる論争にも、1872年のイエローストーン国立公園法にも当てはまる。しかし、ここではもう少し前向きな提案をしたい。国立公園は素晴らしい。だがその未来は、私たちがどこまで強く自然を大切にできるかにかかっている。

文=デビッド・クアメン ジャーナリスト

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特集関連の豆知識

 写真と芸術は、長い間環境問題に貢献してきた。

 世界初の国立公園、イエローストーンの誕生には、写真家ウィリアム・ヘンリー・ジャクソンと画家トーマス・モランの作品が直接関わっている。ジャクソンとモランは、イエローストーンが国立公園となる前年の1871年夏、フェルディナンド・ヘイデンの調査隊一行と共にこの地を訪れた。この二人の尽力がなければ、米国議会がこの地域の重要性を認識するのにもっと時間を要し、あらゆるニーズに屈していたかもしれない。南北戦争後、国の復興を進めていた米国政府は、西部の資源活用に大いに興味を持っていた。また、現在のモンタナ州にあたる地域を走るノーザン・パシフィック鉄道が敷設されたばかりだった。西部への人の流れはすでに始まっていたのだ。

 深い黄色の渓谷、水を噴き出す穴、音を奏でる穴、泡立つ泥、熱湯をたたえる虹色の池・・・初期の報告書に記されていたイエローストーンのユニークな特徴は、実際に目の当たりにしていない人々には信じがたいものだった。ハンターや罠を使う猟師、探検家など、この地を実際に訪れた人々の話は、大げさだとして冷笑された。しかし、米国地質調査所の所長フェルディナンド・ヘイデンは、彼らの話に興味をそそられた。彼は、イエローストーンの地形や資源、景観などを記録するため、ジャクソンとモランを含む調査チームとともに現地に赴いた。ジャクソンが、議論の余地のない証拠として、この米国西部の広大な地域の美と驚異をとらえた写真を持ち帰り、政府や市民に披露すると、将来の世代のためにイエローストーンを保護するよう求める声を無視できなくなった。カラー写真がなかった当時、モランの大きな絵画は、イエローストーンの鮮やかな色たちを生き生きと伝えた。

 本誌特集の冒頭に掲載された白黒写真“神聖な場所”を撮影したのは、1871年にヘイデンの調査旅行に同行したウィリアム・ヘンリー・ジャクソンだった。マンモス・ホットスプリングスの鉱物の段丘に立っているのは、画家のトーマス・モランだ。この2人の芸術家は、イエローストーンの不思議な力をとらえたすばらしい作品によって、イエローストーンを世界初の国立公園に制定して保護するよう米国議会を納得させたのだ。

――エリザベス・スノッドグラス

BOOK






関連リンク

世界の保護地域データベース:世界保護地域委員会が運営する、世界各地の保護地域についてのデータベースのサイト。“保護地区の状況、環境、管理”に焦点を当てており、検索もできる。
http://sea.unep-wcmc.org/wdpa/

セーブ・アンボセリ:2005年9月、ケニア政府がアンボセリを国立公園から保護区に格下げると発表した直後に開設されたサイト。当時の報道発表資料や、ケニア大統領への公開書簡、メディア機関への書簡のほか、延期され続けている法廷審問の現状などが掲載されている。
http://www.african-lion.org

カカドゥ国立公園ビジター・ガイド:オーストラリア政府によるカカドゥ国立公園のサイト。地図をはじめ、公園内の野生生物や文化遺産に関する情報、国立公園設立に至る歴史、さらには政府と地元のアボリジニのグループとの間で交わされた、公園の共同管理の合意についてなど、あらゆる角度からカカドゥを紹介している。
http://www.deh.gov.au/parks/kakadu/index.html

グリズリー・リカバリー:米国魚類野生動物局によるサイトで、絶滅危惧種保護プログラム、およびそれがイエローストーン地区と他の5地区のグリズリーの生息数に与えた影響などに関する情報を掲載している。
http://mountain-prairie.fws.gov/species/mammals/grizzly/yellowstone.htm





日本版の過去記事

2003年9月号「ガボンの国立公園」

2001年9月号「南アフリカの野生動物 国境を越えて広がる保護」

2001年8月号「アフリカ徒歩横断 最終回 3200キロを踏破」

2001年3月号「アフリカ徒歩横断 第2回、緑の魔境」

2000年12月号「ニュージーランド フィヨルドランド国立公園」

2000年10月号「アフリカ徒歩横断2000キロ 密林の生態を記録」

2000年3月号「南米の秘境マディディ国立公園」

1999年6月号「ベトナム、知られざる生物の宝庫」


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