冷戦の残り物、壁崩壊から25年

2014.11.12
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バルト海のラトビア沖にソ連が建設した海軍基地。実際に使われたことがあるのかどうかわからないとレーマース氏は言う。真っすぐな地平線と海面を露出20~30分で撮影し、まるで画廊のがらんとした空間に基地が設置されているかのような印象を与えている。

Photograph by Martin Roemers / Panos / Anastasia Photo
 25年前、ベルリンの壁に最初のハンマーが打ち込まれた。冷戦の国際的シンボルだったベルリンの壁は今やほぼ消滅し、1940年代後半から1990年代初めにかけて欧州を軍事衝突の瀬戸際へ追い込むかと思われた政治的不調和も過去のものとなった。 しかし、ベルリンの壁の他にも、誰にも触れられることなく、ほとんど気づかれることもなく残っている緊張の時代の名残があちこちに存在する。

 オランダ人写真家、マルティン・レーマース(Martin Roemers)氏は、10年がかりで冷戦の遺物を記録した。かつて欧州を形作り、今や朽ちて行くだけとなった時代の形見である。

 レーマース氏は、ベルリン市を二分することになる壁の建設が開始された翌年の1962年に生まれた。

 冷戦の中で少年時代を過ごした。核戦争でこの世が終わるかもしれないという恐怖と、ありふれた憂鬱な日常との間がバランスを取り続けた「奇妙な」時代だったと同氏は振り返る。

「冷戦は、常にそこにあった。テレビを見ていても、学校でも、人々の会話の中でも、私達は常に冷戦の存在を感じていた。戦争を望む者などいなかったのに。壁のどちら側も、戦争など求めてはいなかったというのに。決して起こることはないとわかっている事象のために戦っていたのだ。もし本当に起これば、世界は終焉するのだと誰もがわかっていたのだから」。レーマース氏は、電話インタビューに応え、そう語った。

 冷戦の終焉から25年の間に人々の不安は少しずつ薄れ、それは現実離れしたノスタルジーへと変わって行った。今ではキッチュな笑い話にすらなっている。かつて東ベルリンだった地区で、鉄のカーテンの向こう側の世界、分断されていたヨーロッパの共産主義側を観光客に体験させるホテルやバーがちらほら見かけられる。

 今月、ベルリンの壁崩壊25周年式典で、ベルリン市は白い風船ランプでベルリンの壁を再現した。

 しかし、レーマース氏のプロジェクトにはベルリンの壁は含まれていない。「ベルリンの壁はお決まりのイメージとなってしまったからだ。取り外し、塗り替え、再構築したことで、本物ではなくなった。珍妙に商業化されてしまった」。

 その代わり、欧州のあちこちで人知れず錆び付き、崩れ落ちて行くその他の多くの 遺物をカメラに収める。

「戦争の影響というテーマで多くのプロジェクトを手がけて来た。 もちろん、人間がプロジェクトの中心だが、風景や建物にも戦争の名残がある。人々は、サイロや基地や防空トンネルが存在したということを頭の中では理解しているが、実感としては知らない」。

 同氏の写真には背筋が冷やっとするような並列が見られる。そこには崩壊しつつあるものが持つ美しさ、そして終わりのない戦いに感じられた冷戦を克服したという勝利を感じることができる。しかし、恐怖の圧倒的な大きさで、そうした誇りは小さく見える。

「多大な金とエネルギーを注いで、敵に対抗するため終わることのない軍拡競争を繰り広げていた。そのスケールはあまりに巨大で、無限だ」。

 しかし、冷戦の遺物はいつか消えてなくなる。その後はどうなるのだろう。「どんな戦争にもそれを忘れないためのモニュメントがある。我々は冷戦をどのように記憶し続けるのだろうか」。

Photograph by Martin Roemers / Panos / Anastasia Photo

文=Richard Morgan

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