アステカの生贄人骨を大量に発見

2012.08.30
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メキシコシティの地下で見つかったアステカ時代の人骨。地下水面が高いため、地下水がしみ出している。

Photograph by Cortesia/Hector Montano/INAH-Conaculta/RML
 メキシコ首都メキシコシティの地下5メートルで、アステカ時代の子どもから大人までさまざまな年齢の多数の人骨が発掘された。その数は1789片に及び、1体は完全な状態で出土、若い女性とみられている。 墓地が建設された1480年代、一帯は古代国家アステカの首都テノチティトランの中心地で、地上にはテンプロ・マヨール(大神殿)がそびえていた。テノチティトランを1325年に築いたアステカ族は、メキシコ中央部で繁栄したが、1521年にスペイン人に征服され滅亡している。

 現場付近では複数の人骨が埋められた墓地がいくつか発見されているが、これほど幅広い年齢層に渡る出土は初めてだ。現在、テンプロ・マヨールの遺跡とそれに隣接する博物館に続くアプローチを新たに建設中で、その工事の最中に出土した。

 積み重なった10個の頭蓋骨も発見され、3個が子ども、7個が大人と見られている。考古学者チームは多様な骨の中から複数の肋骨と大腿骨も特定。当初は別の場所に埋葬された遺体が後に掘り起こされ、一人の女性の周囲に撒かれたようだ。

 全体の人数とそれぞれの性別、年齢、最初の埋葬時期を特定するため、自然人類学者チームが調査を進めている。

◆生贄の跡

 考古学者チームが遺骨を調べたところ、椎骨と胸骨の一部に切りつけられたような痕跡が見つかった。神への供物として生贄にされた可能性を示している。当時は、生きたまま石器のナイフで心臓を取り出し、神に捧げる儀式が頻繁に行われた。16世紀のスペインの記録には、喉を切ったり、矢で撃ち殺す様子や、絞殺、焼殺も記されている。

 雨乞いや豊穣を願う神事には、敵軍の兵士や見た目が高潔で健康な一般市民が選ばれた。中には、身分の高い女性や若者、幼児、アルビノ、小人、司祭、売春婦、奴隷が人身御供となった。王の死後は、その生まれ変わりまでお供をするため、使用人の心臓が神に捧げられた。

◆神聖な木

 大量の人骨から約35メートル離れた地点では、割れたオーク(ナラの一種)の幹が埋められていた。周囲には漆喰(しっくい)で固めた火山岩が円形に並んでいる。

 16世紀のスペイン人が残した記録によれば、テノチティトランの中心部には神聖な木々が存在した。今回のオークはその1本の可能性があるという。アステカの宗教では、木の枝が空を支え、根は地下世界につながっていると信じられていた。

 多数の木の杭は、建造物の基礎のようだ。テノチティトランはテスココ湖を干拓した島に築かれており、土壌の水分が多かった。木杭で補強しなければ、重い石造の儀式壇や神殿は沈み込んでいただろうという。

◆古代、中世、現代の共存

 古代国家アステカの首都テノチティトランは、スペイン人による征服後、入植者によって破壊され、ヨーロッパ式の建物が建設された。無秩序で現代的な大首都圏メキシコシティの中心部に今も点在する。

 数世紀にわたる変化を経ても、遺跡の周辺は神聖で宗教的な雰囲気が漂っている。発掘現場のすぐ隣には、完成から500年を越えるメトロポリタン大聖堂がある。建築には、破壊された神殿の石材が使われたと言われている。

 大聖堂の隣にある「ソカロ」と呼ばれる中央広場では、宗教的な祭り、一般行事のパレード、文化イベントなどが行われている。メキシコシティは、古代、中世、現代と、3つの文化が共存している世界でも珍しい都市と言えるだろう。

 今回の発見は、アステカの埋葬儀式と信仰を解明する貴重な手掛かりになると期待されている。同文明の墓地はほとんどが首都メキシコシティの高層ビルの下に埋もれており、発掘の機会は限られているという。

Photograph by Cortesia/Hector Montano/INAH-Conaculta/RML

文=A.R. Williams

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