ファラオ像発見、クレオパトラの墓か?

2010.05.20
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タップ・オシリス・マグナ神殿で発掘された頭部のないファラオ像。プトレマイオス4世の像と考えられている。

Photograph by Kenneth Garrett via SCA
 古代エジプトの神殿跡からギリシャ人ファラオの頭部のない重厚な像が発見された。発掘調査の責任者によると、この地がマルクス・アントニウスとクレオパトラの眠る墓所であることを示す証拠が新たに加わったことになるという。 2人の墓を探すため、港湾都市アレクサンドリアの西約45キロに位置するタップ・オシリス・マグナ神殿の周辺でこれまで5年間に渡って調査が行われている。発見された像は黒花崗岩製で、頭部がない状態で高さが約1.8メートルある。像の台座近くで見つかった同じ材質の石に刻まれた“カルトゥーシュ”(王の名を記した枠)の名から、プトレマイオス4世の像と考えられている。プトレマイオス4世は、プトレマイオス朝時代(紀元前332~30年)にエジプトを治めたギリシャ人王族の1人だ。

 考古学者キャサリン・マルチネス氏が率いるエジプトとドミニカ共和国の合同発掘チームは、この頭部のない像以外にも、神殿の隅の1つに定礎の儀式の際に埋められた定礎具に書かれたギリシャ語とヒエログリフの碑文を発見した。そこには、紀元前221~205年に王位にあったプトレマイオス4世が神殿の建造を命じたと記されていた。これまで、この神殿は紀元前282~246年のプトレマイオス2世の時代に建設されたと考えられていた。

 カイロにあるエジプト考古学博物館のサリマ・イクラム氏は今回の発掘調査には関わっていないが、「この神殿がクレオパトラの墓所との説に立つならば、建設の時期が遅いほどクレオパトラの存命中にこの神殿が利用されていた可能性が高まり、クレオパトラと関係があった確率も高くなる」と説明する。

 発掘チームは今回、花崗岩のファラオ像が発見された神殿の北の入り口の外側で、高さ約2メートルのスフィンクスの台座の列も発見した。他のエジプトの神殿では入り口に向かう通路にスフィンクスを並べるため、発掘チームは、この神殿の正門はこれまで考えられていた東の入り口ではなく、台座が並ぶ北の入り口だと考えている。

◆栄華を誇ったタップ・オシリス・マグナ神殿

 クレオパトラ7世はプトレマイオス朝最後の女王で、息子のプトレマイオス15世と共同でエジプトを統治した。しかし、クレオパトラとその恋人でローマの将軍マルクス・アントニウスは、紀元前30年にオクタウィアヌスとの戦いに破れて自ら命を絶った。その後間もなく、オクタウィアヌスは初代ローマ皇帝アウグストゥスとなる。

 今回発見されたファラオ像は、エジプトの女神イシスの2体の像と神殿の正門の跡とともに、タップ・オシリス・マグナがプトレマイオス朝の支配者たちと関係があったことを示す最新の証拠であり、不幸な運命を辿った2人の恋人との関係も示しているかもしれない。

 タップ・オシリス・マグナの存在は何百年も前から考古学者の間で知られていた。この神殿で初めて発掘調査が行われたのは1801年で、ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)の命令によるものだ。

 最近まで、タップ・オシリスは未完成の神殿だとの説が有力だった。その理由は、碑文が見つかっておらず、内部の構造を示す証拠もほとんどなかったためだ。神殿の外の巨大な墓地と、灯台と思われる塔は発見されていたが、それ以上のことは不明だった。

 しかし、最近の発掘調査によってこの神殿がこれまで考えられていたよりも活発に使われていたことが明らかになり、クレオパトラの時代にはこの神殿が重要な場所であった可能性が高まっている。

 これまでこの神殿の墓地では、少なくとも12体のミイラ、500体の人骨、20基の墓が見つかっている。マルチネス氏によれば、ミイラが神殿に顔を向けて埋葬されていることから、重要な人物の墓がこの神殿にあるかもしれないという。

 また、発掘チームはこの神殿内で、聖なる水場、ミイラの製作に使用されたと思われる部屋、オシリス神とイシス神を祭る礼拝堂を発見した。この偉大な2柱の神はエジプトの神話に登場する夫婦であることから、クレオパトラとアントニウスはこの神話にヒントを得て、自分たちの埋葬場所としてこの神殿を選んだ可能性がある。

 エジプト最高考古庁(SCA)の事務局長で発掘調査を監督するザヒ・ハワス氏は、「クレオパトラはイシスを、マルクス・アントニウスはオシリスを表しているのかもしれない」と推測する。

 発掘チームは2008年にも、クレオパトラの石膏胸像、クレオパトラの顔が刻印された硬貨、ギリシャの女神アフロディテの銅像などの遺物を発見した。

「発掘によって、巨大な複合施設であるこの神殿に何が存在するのかを明らかにしてきた。これにより、この神殿が実はプトレマイオス朝時代のアレクサンドリアで最も神聖な神殿の1つだったことが証明された」とマルチネス氏は主張する。

「この神殿の荘厳さと、当時はとても神聖な場所であったことから見て、ここにクレオパトラの墓があるのではないかと思う」。

◆墓を隠すには「最適の場所」

 ハワス氏は、タップ・オシリス・マグナがアントニウスとクレオパトラの墓の有力な候補地と考えられる理由について、ローマ帝国の支配者に自分たちの墓を発見され冒とくされるのを2人が恐れた可能性を挙げる。

 アントニウスは、オクタウィアヌスが自らの軍事力を誇示するために自分たちの死体をローマ中で晒し者にするのではないかと疑っていた可能性が高い。だとすれば、アントニウスとクレオパトラが、アレクサンドリアの王宮の外にある神聖だが人目に付かない場所に埋葬されることを望んでいたと考えることもできる。

 エジプト最高考古庁は1年ほど前、タップ・オシリス・マグナ内で地中探知レーダーを使用することをマルチネス氏に許可した。その結果、数々のトンネルが発見され、地下室が8つもあることが明らかになった。これらは現在も調査中である。

「ここは彼らの墓を隠すには最適の場所だ」とナショナル ジオグラフィック協会付き探検家でもあるハワス氏は言う。

 またマルチネス氏は、タップ・オシリス・マグナの規模が広大であるため、その内部にある墓が発見されにくいと指摘する。「この複合神殿は5平方キロの広さがある。われわれが新しい技術を駆使して調査しているというのに、そのような技術を持たないローマ時代の人々がどのようにして墓を見つけることができただろうか」。

Photograph by Kenneth Garrett via SCA

文=Andrew Bossone in Cairo

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