古代アマゾンの地上絵、衛星から発見

2010.01.04
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ブラジル、サンタテレジーニャの畑で発見された円形の模様(撮影日不明)。

Photograph courtesy Edison Caetano
 アマゾン盆地の高原地帯で、これまで熱帯雨林に覆われて見えなかった円形や四角形などの幾何学的模様が数百個発見されたとする研究が発表された。1999年以降に撮影された衛星写真から、250キロ以上の距離にわたって200を超える幾何学的図形の地上絵が確認されており、これまで明らかになっていなかったアマゾンの古代社会が存在していたことの証拠となる可能性があるという。 地上絵が描かれた目的は不明だが、この10倍近くの数の地上絵が、アマゾンの森林に隠れて人知れず眠っているのではないかと推測されている。

 ブラジルのベレンにあるパラー連邦大学の人類学者で、この研究の共著者であるデニジ・シャーン氏によれば、少なくとも1カ所は西暦1283年前後のものとされているが、西暦200~300年にまでさかのぼる可能性があるものもあるという。

 今回の発見は、かつてアマゾンの奥地に数多くの村落から成る複合都市が存在していたが、15~16世紀にヨーロッパからの入植者が南米に持ち込んだ疫病によってほぼ全滅したとする説を補強するものになる。

 現在、これらの村落についての記録は残されていない。そのため、アマゾン川上流地域の土壌が非常にやせていたことが原因で、大規模な定住集落の住民を賄える規模の農業を営むことは不可能だったとこれまで考えられてきた。しかし「その想像は間違いだったことがわかった。この地域では、さらに多くの発見が期待できる」とシャーン氏は話す。

 新たに発見された地上絵は、幅およそ11メートル、深さ1~2メートルの溝でできており、その両脇に高さ最大1メートルの土手が積まれている。さらに地上絵の多くが互いに直線の道で結ばれている。

 2008年に行われた予備的な発掘では、家庭用の陶器や炭、砥石のかけらなど、人間が居住していた証拠が混ざった土が、いくつかの地上絵の周囲に低く盛られていたことが明らかになっている。

 しかし、誰がどのような目的で作ったのかは依然謎のままだ。外敵からの防衛のための建造物とする説、儀式会場や住居とする説など、さまざまな見方がある。

 アメリカ、カンザス州ローレンスにあるカンザス大学の地理学者で人類学者であるウィリアム・ウッズ氏は、この研究には参加していないが、建造物の用途は時代とともに変わっていった可能性もあると指摘する。「例えばローレンスの街にはフリーメイソンの寺院があったが、現在はバーとして使われている。また、銀行だった建物が今では“テラーズ”(窓口係)というレストランだ。こういうことは、時として起こるものだ」。

 研究チームが最も驚いたのは、地上絵がアマゾン川の氾濫原地域と高原地域の両方で発見されたことだ。一般にアマゾンの氾濫原の土壌は肥沃なため、村落の形成に適していたのに対し、土地のやせた高地には人間はあまり住まなかったと考えられてきた。しかも双方の地上絵の様式が似ていることは、同じ社会に属する人間によって作られた可能性を示している。

 研究の共著者であるシャーン氏は、「古代アマゾンの研究においては、生態系の異なる場所には異なる民族が住むと考えるのが一般的だった。したがって、一つの文化が異なる生態系の恩恵を受けながら、これほど広範囲に拡大しているというのは、いささか奇異に感じられた」と語る。

 シャーン氏は、高原地帯には6万もの人々が居住していたと推測している。この数字は、今回発見された地上絵のような規模の建造物を造るのに必要と考えられる社会組織と労働力に基づいて算出されたものだ。

 カンザス大学のウッズ氏によれば、当時の複合都市についてほとんど何もわかっていない現状を考慮すると、この推計人口は大まかではあるが合理的な数字だという。今後数年間にわたって行われる発掘作業で、より正確な答えが明らかになるかもしれない。

 ウッズ氏は何より、人間が住んでいなかったと長年考えられてきた地域にこれほど多くの人が住んでいた可能性が出てきたことに感銘を受けている。「これまで長い間、アマゾンの上流地域にどのくらいの人数が住んでいたかと人類学者や考古学者に聞いたら、皆ほとんどゼロだと答えていただろう。人間が一人も住んでいないと考えられていた場所に6万人もの人間が暮らせていたというのは驚くべきことだ」と話している。

 この研究は「Antiquity」誌1月号に掲載されている。

Photograph courtesy Edison Caetano

文=John Roach

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