第14回 ペンギン参勤交代

2016年末から2017年3月まで、南極でアデリーペンギンの調査を行う渡辺佑基さん。南極到着直前に、「ただ事じゃない」と目を見張った光景は――。

「ペンギンがいる」と廊下のざわつく声を耳が受信し、跳ね起きた。私はここ1週間ばかり、それだけを心待ちにしていたので、他の重要な情報はあっさり聞き落としても「ペンギン」の一単語だけは逃さない。ベッドから抜け出して船室の電気を点けると、自分史上最速のスピードで防寒用の上着を身に付ける。カメラをひっつかんでサングラスをかけ、廊下を急ぐ。船特有の金属の重い扉をギイと開け、甲板に出る。

 外に広がっていたのは、一面の氷の世界だ。南極観測船「しらせ」は今、氷海の真っただ中で一時的に停船している。氷と氷がぶつかり合い、押し固められて、まるでゴロゴロとした岩石砂漠を真っ白に漂白したみたいな、世界でここにしかない独特の景観を形成している。早朝にもかかわらず太陽は既に天高く輝き、氷の塊一つ一つに複雑な陰影を投げかけている。

 船尾に人が集まっていることに気付き、私も駆けつけた。見ると船の真後ろの遠い一点に、藍色の水面が露出しており、そのすぐ手前にアデリーペンギンが数十羽、まるでボウリングのピンみたいに突っ立っている。背後の水面からは、新たなペンギンが1羽、また1羽と飛び出してきて群れに加わり、そのため群れのサイズが目に見えて大型化している。これはただ事じゃない、と私は目を見張った。

ペンギンの大集団がこちらにやってくる。(撮影:渡辺佑基/協力:ニコンイメージングジャパン)
[画像のクリックで拡大表示]

 そして総勢100羽以上ものペンギンの大集団が形成され、それがなんと、わらわらとこちらに向かって歩き出した。振り子みたいに体を左右に揺らせて前進し、時折岩石のような氷の塊をひょいとジャンプで乗り越える。それぞれのペンギンは先行するペンギンの背後につく傾向があり、そのためばらばらだったペンギンの大集団は次第に列をなし、やがて参勤交代の殿様行列のような整然とした長い行列が完成した。それは気まぐれな自然の生み出す奇跡の光景だった。先頭を行く露払いのペンギンは、後ろを振り返ることもなく無表情で歩を進める。

 船上から夢中でシャッターを切る私たちに好奇心を抱いたのか、あるいは「しらせ」の鮮やかなオレンジ色の船体に惹かれたのか、ペンギンの大行列はほとんど手の届きそうな船の真横までやってきた。しかしちょうどそのタイミングで、試験飛行をしていた船搭載のヘリコプターが、バリバリと空を引き裂くような音をたてて遠くから近づいてきて、するとペンギンたちは蜘蛛の子を散らすようにちりぢりになり、やがて見えなくなった。

 その後には、太陽光をまだらに反射している荘厳な氷海だけが残った。あっという間の出来事だった。私は夢でも見ているような気がして、しばらくその場に突っ立っていた。何度シャッターを切ったかわからないカメラを再生すると、整然としたペンギンの参勤交代行列が確かに写っていて、それだけが唯一、いま目の前で起こったことの証明だった。

ペンギンの参勤交代。(撮影:渡辺佑基/協力:ニコンイメージングジャパン)
[画像のクリックで拡大表示]

つづく

渡辺 佑基(わたなべ・ゆうき)

1978年、岐阜県生まれ。国立極地研究所生物圏研究グループ助教。農学博士。バイオロギングを用いて主に海洋動物の生態を研究している。2010年には南極観測隊に参加し、ペンギンに取り付けたカメラでの撮影に成功。研究論文が米国科学アカデミー紀要に掲載された。2011年、学術分野全般で優れた実績を積み上げた人に贈られる山崎賞を受賞。2014年、『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』(河出ブックス)で第68回毎日出版文化賞の自然科学部門を受賞。