小野さんは、しばしば遺跡から出た魚の骨を同定する専門家とみられることがある。

 自身の研究史の初期にもボルネオ島の遺跡の発掘調査で骨を見る仕事をしている。

ボルネオ島のブキットテンコラック遺跡。(写真提供:小野林太郎)(写真クリックで拡大)

「ブキットテンコラックという遺跡で、3500年くらい前のものです。新石器時代、第2の波が来た時期ですが、ここは外洋性の魚が少ないところでした」

 前回ふれた東ティモールのジェリマライ遺跡は、4万2000年前のものなのに、マグロなどの外洋性の魚を捕っていた。では、こちらでは、時代が新しくなっているのに外洋性の魚を捕らないのはなぜだろう、というのが素朴な疑問。

「実際行ってみるとわかるんですけど、周り数キロぐらい全部サンゴ礁の非常に大きなリーフが広がってるんですよ。逆に外洋まで行こうとしたら、多分数キロ、その浅いリーフをえっちらおっちら行かないとたどり着けなくて、あえてそこまでしてリスクの高い外洋性の魚を捕るよりも、近場で沿岸の魚を捕ってたほうがいいって、そういう戦略だったんじゃないかなと思います」

 技術の進展も大事だが、その場にある環境にどう適応するのか、最適な方法は何なのかを選択する、むしろ人類の柔軟性を示す事例と受け止めるべきだろう。

 余談だが(しかし考古学的には非常に大きなテーマとして)、いわゆるラピタ文化の起源の問題にも関わっている遺跡だ。

海岸から見たブキットテンコラック。(写真提供:小野林太郎)(写真クリックで拡大)

本誌2014年12月号では人類拡散の足跡をたどる特集「人類の旅路を歩く 「約束の地」レバントへ」を掲載しています。Webでの紹介記事はこちら。フォトギャラリーはこちらです。ぜひあわせてご覧ください。

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