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人類の拡散ルートを踏破する旅の第2回は、アラビア半島へ。サウジアラビア北西部のヒジャーズ地方で、かつて巡礼者や隊商が往来した砂漠の道をたどる。

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人類の旅路 アラビア半島を歩く

人類の拡散ルートを踏破する旅の第2回は、アラビア半島へ。サウジアラビア北西部のヒジャーズ地方で、かつて巡礼者や隊商が往来した砂漠の道をたどる。

文=ポール・サロペック/写真=ジョン・スタンマイヤー

 アラビア半島では、隊商路に点在する井戸をたどって旅をした。

 サウジアラビア北西部の港町ジッダでは、ある邸宅に招かれた。磨き込まれた木のテーブル上の白い陶器のカップは、まるで小さな“底なし井戸”だ。ひっきりなしにコーヒーのお代わりを注ぐ3人の女たちが、代わる代わる口を開き、サウジアラビアへの誤解を解こうと話しかけてくる。厳格なイスラム教義により多様性を失い、オイルマネーを浪費する国というイメージは間違っているというのだ。

閉鎖性と開放性、ヒジャーズ地方の二つの顔

 サウジアラビアはモザイクのような国だと、彼女たちは言う。東部にはシーア派、南部にはイエメン系、北部にはレバント系と、さまざまな文化が存在している。
 そして中央部の高原地帯ではベドウィンが遊牧生活を営む。ナジドと呼ばれるこの地域はワッハーブ派などのイスラム原理主義の牙城でもあり、首都リヤドにはこの国の統治者であるサウード家がいる。

 なかでも10世紀以降、イスラム教の二大聖地であるメッカとメディナを守ってきた、ここヒジャーズ地方ほど誇り高く、独立心の強い地域はないと、邸宅の女たちは力説する。
 実際、ヒジャーズはかつて独立していた時代があった。第一次世界大戦末期に王国として独立を果たしたのだ。だが1925年には、サウード家の領地に併合された。

 以来ここには多くの矛盾がくすぶっている。ヒジャーズはイスラム教徒以外の者を寄せつけない聖地としての顔と、サウジアラビアで最も国際色豊かでリベラルな地という顔を併せもつ。ここはアジアやアフリカ、レバントをはじめ無数の土地の影響が混じり合う文化のるつぼであり、多彩な人々が行き交う中継地なのだ。

 彼女たちは3人ともベールをかぶらず、ブラウスとパンツ姿だった。邸宅はしゃれた造りで、内装の地域色は薄く、シンプルながら上品だった。外の通りには遊歩道があり、画廊やカフェ、美術館が並ぶ。ここはサウジアラビアの文化の拠点だと、1人が言う。
「ヒジャーズは1000年もの間、音楽や料理、民話など独自の文化を保ち続けてきました。そんな文化を少しでも残そうと、ようやく動きだしたところです」

 彼女たちは、いわば「女の町」の申し子だ。ここジッダは近代化と工業化が進む港湾都市だが、旧約聖書のイブが埋葬されたと言い伝えられている。12世紀のムーア人旅行家イブン・ジュバイルによると、かつてここにはイブの巨大な墓があり、「古めかしいドームがそびえていた」という。偶像崇拝を嫌うワッハーブ派の指導者たちが、1世紀近く前に破壊したらしいが、それすらもはや誰の記憶にもない。

※ナショナル ジオグラフィック2014年7月号から一部抜粋したものです。

編集者から

 中学・高校と思春期を過ごしたのがインドネシア。まさにイスラム教の国です。この記事の舞台はサウジアラビアですが、宗教的な儀式の記述を読むたび、当時の思い出がよみがえりました。メッカの方角に向かってささげるお祈りや、礼拝を呼びかける詠唱、ラマダンの断食……。
 筆者はイスラム教徒に敬意を払って「1カ月断食を続けてきた」と、さらっと書いていますが、それが本当ならすごいことです。高校が同じだった友達(日本人)もラマダンの時期に断食に挑戦し、激ヤセしました。でもその後、強烈なリバウンドを体験。断食前より肥えてしまったのです。本気でやるとそれだけ体への負担が大きいということでしょう。どこまで飲食を制限するかは人それぞれと言われますが、筆者は断食をしながら砂漠を旅したのですから、大したものだと思います。(編集M.N)

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