第5章 1956- 第二期黄金時代からさらなる挑戦へ

第27回 実はボツ写真だった史上もっとも有名な「アフガンの少女」

 撮影したスティーブ・マッカリーがフォト・エディターに写真を見せたときのこと。表紙になるかどうかはわからなかったものの、シャッターを切った瞬間に本当に特別な1枚になることをマッカリーは確信していていました。しかし、写真を見たフォト・エディターは言いました。

「表紙にはキツすぎるね。編集長に見せるのはやめておこう」

「なんてこった!」

 マッカリーは内心思ったそうですが、もちろん言葉には出さず、苦肉の策を編みだします。少女の写真は、顔を手で覆ったものと顔があらわになったものと2枚ありました。その2枚を同時に編集長に見せるというものです。

 それならば、とフォト・エディターはマッカリー案を受け入れて、当時の編集長であるウィルバー・ギャレットに2枚を並べて見せたところ、編集長ははっきり顔が見えるほうを指して即答します。

「ここに次の号の表紙があるじゃないか」

 ただし、これで決まったわけではありません。おそらく写真の力があまりに強すぎたのでしょうね。編集長が推したにもかかわらず、その後も表紙にすべきかどうかモメにモメて、結局のところ、当時の写真部門の統括だった“ゴリラ野郎”こと剛腕ロバート・ギルカが根回しに動いた末、ようやく表紙に使うことが決定したそうです。

写真が2度目に表紙に使われた2002年4月号。このとき「シャーバート・グーラー」という名前もわかりました。(写真クリックで拡大)

 ウィルバー・ギャレットは1980年からギルバート・メルビル・グロブナーのあとを継いで1990年まで編集長になった人物です。ロマンティストで情熱家で、10年の間にこの連載でも紹介したようにタイタニック号発見やウィル・スティーガーの北極探検、中国のパンダ、マウンテンゴリラの保護など、ヒット企画をいくつも送り出しましたが、なかでも「アフガンの少女」を表紙にすくいあげたことは間違いなく最大の功績のひとつでしょう。

 なお、写真を撮影したとき、スティーブ・マッカリーは少女の名前すら知りませんでした。もちろん、行方もわかりません。1985年6月号の表紙を飾った17年後、やっとの思いで再会を果たした記事「アフガン難民の少女発見」が2002年4月号に掲載されています。これが2度目に表紙に写真が使われた号でした。

つづく

(Web編集部S)