第2回 私たちはなぜ系統樹が好きなのか

 様々な系統樹、系図のたぐいを蒐集して、その背景にあるものを考察する三中さんに、実際に描かれた図像を見せてもらったり、お話を伺ううち、こと系統樹的に(ツリーとして)なにかを描く時の目的が、大きく分けて2通りあるのではないかと感じた。

 ひとつ目は、前回、主に紹介したものだ。生物の系統樹のように、時間を軸にした分岐の様をあらわしたもの。生物進化の他には、家系、言語、写本などが、この種類のツリーだ(家系については、「正統」だけを辿る場合、分岐せずにチェイン(鎖)であることも多いが)。

 これらは、ある意味で「歴史科学」の萌芽であり、今の世では、立派な科学の1分野として認められているわけだ。

 もうひとつは、知識を伝える手段として、ツリーを利用するもの。カバラの「生命の樹」(セフィロート)は、厳密にはツリーではなくてネットワーク状だが、こちらの発想に近い。より樹木的なものとして、15世紀末に記憶術を体系化したライムンドゥス・ルルスが、学問の諸分野を描いた「知識の樹」などがあげられる。すべての学問・すべての知識を、同じ樹木の根と枝に配することで、錯綜とした森のような知識体系を整理し、理解を助けようとしているわけだ。さらに、18世紀、ディドロやダランベールらの『百科全書』をツリーとして描く「百科全書樹」なるものも描かれており、知識を体系づけるツリーも根強い伝統のようだ。

15世紀末に記憶術を体系化したライムンドゥス・ルルスによる「知識の樹」。あらゆる学問と知識が1本の樹に茂る葉として示されている。(画像クリックで拡大)