1984年2月、植村直己は冬期のマッキンリーに単独登頂したのち、帰らなかった。

 この遭難を追跡する前に、1983年の植村について語りたい。82年12月、アルゼンチン軍部から、南極横断旅行には協力できないと通告された。ほぼ1年間、南極のアルゼンチン基地で待機した末に、南極横断を断念しなければならない結果になった。彼が長いあいだそれにかけてきた執念を思えば、あまりに苛酷な断念を強いられたのだった。

 83年3月、植村は帰国した。会ってみると、いつも通りの植村に戻っているようにも見えた。

「いやあ、みなさんの期待にこたえることができなくて、すみません。残念です」

 という植村を、私個人としては慰める言葉をもっていなかった。何か発言することで、重い気持ちが軽減されるわけではなかった。

マッキンリーの雪洞で最後の日記とともに発見された写真より。(写真提供:文藝春秋 (c) Bungeishunju)(写真クリックで拡大)

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