第8章 故郷 前編

 64年の冬、大学卒業を間近にひかえて、植村は実家に帰ってきた。そこで家族の前で「卒業後、外国へ行きたい」という話を切りだした。両親、とくに母の梅さんは頭からこれに反対した。

 すると植村は夜なのに家を飛び出し、円山川にかかる上郷橋の欄干につかまって、長いことシクシク泣いていた、というのである。ただし、家族の間には異説がある。「あれは(直己が)我を張って、泣くマネをしていたのだ」というもの。こっちのほうがおもしろいかもしれない。

 しかし、反対された植村にしてみれば、事態は深刻だった。修氏によれば、「ふだんはおとなしくていい子」のはずの末っ子は、夜中まで外で泣いた後、家に帰ってフトンの中にもぐりこみ、3日間の断食をやった。ハンガー・ストライキとは、ずいぶん古典的な手段を使ったものである。

 両親はネを上げて、判断を修氏にゆだねた。植村より10歳年上のこの兄は末弟を内心可愛がっていたようである。「弟があれだけ思いこんでいるんだから、やっぱり聞いてやらにゃあなるまい」と考えて、片道の船賃を工面してやることになった。

 私はこの話を84年の春に聞いた。その話をある文章のなかに書き留めておいたので、今それに拠って復原してみたのである。