世界に知られた美しい遺跡パルミラ。手前から列柱道路、四面門、円形劇場、記念門と並び、奥には壁に囲まれたベル神殿が見える(PHOTOLIBRARY)
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東西文化が生んだ壮麗な隊商都市

 シリア砂漠の真ん中に位置するパルミラは3800年前から隊商の基地だったことが古い記録に残っている。シリア砂漠を横断するキャラバンにとって非常に重要な中継地だった。また伝説によればパルミラは、紀元前10世紀に古代イスラエルのソロモン王が荒野に築いた都市だともされている。

 紀元前1世紀から紀元3世紀にかけてパルミラは、ローマと東方を結ぶ巨大な貿易都市となり、その役割を増した。また東側のササン朝ペルシャと西側の緩衝地帯でもあり、ギリシャ、メソポタミア、ペルシャ、ローマ、そして現地の文化が豊かに混ざり合うパルミラ独特の文化が形成された。ローマ帝国の影響下にあった都市の中でも、パルミラほど異なる文化の折衷が豊かに残っているところはあまりない。

 3世紀に実権を握った女王ゼノビアは、ローマ帝国からの自立を目指して対決を挑む。しかし激しい攻防の末にパルミラは陥落。ゼノビアは捕虜となりローマに連行されてしまう。これ以降、「女王の都」パルミラは衰退の道をたどることになる。

 シリア内戦が始まるまでは、この美しい遺跡を見に、毎年15万人以上の観光客が世界から訪れていた。ローマ都市の特徴である円形劇場や浴場などは完全に近い状態で残っていた。

 街の目抜き通りともいえるのが列柱道路だ。道路の東に立つ壮麗なベル神殿は1世紀当時の姿をよく残し、最高神ベル・太陽神・月神の3種が祭られた。通路の北側には1世紀頃に建てられ、遺跡内でも特に保存状態のよいバールシャミン神殿や、ディオクレティアヌス帝の浴場がある。南側には円形劇場、アゴラが備えられている。列柱道路には記念門や四面門なども残されており、古代の都市の姿がよく見えるものだった。

 2015年5月、過激派組織「イスラム国」(IS)がシリア軍を撃破し、遺跡を勢力下に置くと、「偶像崇拝を助長するもの」として遺跡の破壊が始まった。8月にはバールシャミン神殿と、紀元32年に建てられたベル神殿が相次いで爆破された。9月には古代パルミラ人の遺体を納めた塔墓、10月にはパルミラ遺跡の象徴であった記念門が破壊された。

 2016年3月、パルミラを政府軍がISから奪還する。しかし、12月にはまたもやISの手に落ちる。翌2017年3月に再び政府軍が支配権を取り戻したときには、2016年の奪還時には無事だった四面門や劇場の一部はすでに破壊されていた。

 遺跡の修復は計画されているものの、シリアの政情は予断を許さない状況が続く。かつてのパルミラの姿を再び見られるのは先のことになりそうだ。

次ページは写真で、失われる前の聖母教会、戦後の瓦礫状態、再建後の姿を紹介する。

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