1900年頃の聖母教会とその前の広場。宗教改革者のルター像が教会前に立っている(Library of Congress)
[画像をタップでギャラリー表示]

 失われた建造物を、かつての姿のままに再建することはたいへん難しい。資料が失われている場合もあれば、使っている建材も当時のままとはいかないからだ。しかし、そうした困難を乗り越え、可能な限り残されたものを再利用し、その姿を蘇らせた例がある。ドイツ東部の都市ドレスデンにある聖母教会だ。

 18世紀に建てられたこの教会は、バロック様式のプロテスタント教会である。ドームはヨーロッパで有数の高さを誇り、200年間ドレスデンの空にそびえていた。

 1945年2月13日、英米軍はドレスデンの空爆を開始した。聖母教会は焼夷弾による攻撃を2日間しのいだが、3日目の朝、熱で崩壊した。5月8日にドイツ軍は降伏し、戦争は終結。ドイツは東西に分断され、ドレスデンは東ドイツに組み込まれた。ドレスデン市民はいつか教会が再建されることを願いながら、瓦礫を集め、分類し、番号をふった。しかし再建を待つまま45年間、ドレスデンの街には瓦礫が山積みになったまま残った。

1720年の図面を頼りに

 1982年の爆撃記念日のこと。400人の市民が花とろうそくを持ってこの場所に静かに集まった。これが東ドイツの体制に抗議する平和運動と市民運動の始まりとなった。1990年にドイツが統一されると、ドレスデン聖母教会の再建計画は動き始める。再建には1億8000万ユーロが必要だったが、世界中から個人や企業などの寄付が集まり、経費の一部をまかなった。ドレスデン生まれのノーベル生理学・医学賞の受賞者ギュンター・ブローベルは受賞金を教会再建のために寄付した。

 1720年の図面を頼りに、何百人もの建築家、美術史家、技術者が何千もの石の破片を計測し分類した。画像処理プログラムを使ってモニター上で三次元的に石を動かし、組み合わせを研究した。利用可能な破片はすべて使われた。

 資料がない場合は市民の記憶を頼りにした。正面の扉の模様を再現するために、市民から結婚式の写真を募集した。結婚式の記念撮影を正面の扉の前で行う風習があったからだ。

 1994年に再建工事が開始され、2004年に外観が、2005年に内装が完成した。同年10月30日には聖別式典が行われ、6万人が参列した。教会が建つ広場には見学をする人の長蛇の列ができ、その列は翌朝5時まで途切れることはなかった。なかには涙を流している人の姿もあった。

 再建された教会はその歴史を人々に思い起こさせるだけでなく、和解と希望の象徴としてドレスデンの街に立ち続けている。

次ページは写真で、失われる前の聖母教会、戦後の瓦礫状態、再建後の姿を紹介する。

おすすめ関連書籍

消滅遺産

もう見られない世界の偉大な建造物

現地へ行っても残っていない、失われてしまった姿を写真で見る。世界から消えても、記録は残った。

定価:本体2,400円+税

この連載の前回の
記事を見る

この連載の次の
記事を見る