消えた巨大城壁、500年におよぶ四重の守り

1895年頃の外城の城壁。写真に写っている大きな建物は東便門に隣接する角楼で、唯一北京に現存する角楼でもある(写真:Library of Congress)
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 建造物のなかには、古くから存在し、これからも長く残したいものがある。そうした建造物の多くはユネスコの世界遺産に登録されているが、国や地域によってはそうでない場所もある。ナショナル ジオグラフィックの書籍『消滅遺産 もう見られない世界の偉大な建造物』は、もはや目にすることができない、世界から消えてしまった歴史的建造物を、当時の写真でめぐる一冊だ。ここではその中から「北京城壁」を紹介しよう。

都を守る巨大な城壁

 中国の城壁といえば異民族を防いだ万里の長城や、都城の守りである西安や平遙などの巨大な城壁が有名だ。ところが幾度も首都となった北京にはそのような城壁は見当たらない。実は北京も20世紀半ばまでは、四方を立派な城壁で囲われていた。

 明の永楽帝が現在の北京を都と定めたのが1403年。元王朝が整備した都を引き継ぎ、写真に残る城壁の基礎を築いた。明と清を通じて北京は発展し、都の守りとしての城壁も増改築が進められた。

 城壁には4種類ある。まずは皇帝の居城である紫禁城をぐるりと囲む。次に皇族などが住む地区の皇城を囲む城壁。さらにその周囲に内城が広がり、ここには役人などが住んでいたという。ここまでが行政側の地域だ。内城の南に隣接しているのが外城で、こちらは庶民が暮らす場所。外城は内城よりも東西にやや広いため、真上からみると、外側の城壁がかこむ北京の市街が「凸」の字のように見える。

 内城と外城を隔てる城壁は高さ11メートルほどもある。城壁の上は広いところで19メートルもあり、煉瓦で舗装されていた。自転車で走れる西安の城壁よりも広かったわけだ。内城と外城の長さの合計は38キロメートル近い。見張り塔、塔門、甕(おう)城(半円状に張り出した城壁)、水門などが備わり、厳重な防衛体制が敷かれていた。遠路はるばるやってきた旅人や商人は、この城壁にいくつか設けられた門を通って、北京へと入っていった。

 1911年に清朝が滅亡すると、中国は動乱の時代に移っていく。辛亥革命時に、いくつかの門が焼け落ちた。さらに中華人民共和国が成立して以降、都市開発のために城壁は次第に取り壊されていった。鉄道を通すために壊されたり、道路に転換するために壊されたりした。

 現在、城壁があったところやその横には、第2環状線が走っている。北京の地図を見て道路をたどれば、かつての巨大城壁の跡をほぼなぞることができる。今も残されているのは、わずか1.5キロほど。内城の南正面にあった正陽門は公園のなかにあり、唯一往時をしのぶことができる。内城に九つ、外城に七つあった門のうち、現存するのは故宮の真南にある正陽門と、北西の徳勝門のみだ。

 次ページで、今はもう見られない北京城壁の写真をさらに3点紹介する。

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