24匹が8億匹に! ウサギで豪大陸を侵略した英国人

ウサギとの戦い

 オーストラリアでは、ウサギの数を抑制する初期の取り組みとして、射殺や毒殺、ウサギよけフェンスの設置などが行われた。1883年までには、ニューサウスウェールズ州でウサギを規制する法律が制定され、飼いならされたウサギを放した子どもを刑務所に6カ月間入れることも可能になっていた。

 西オーストラリア州政府は1907年、過去最長のウサギよけフェンスを完成させる。北部から南部に至る、全長1150キロのフェンスだ。その後、フェンスはさらに2カ所設置される。

1000キロ以上にわたり張り巡らされたウサギよけフェンス
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 やがて、ウサギの殺し屋と皮剥ぎ人の一貫した取引が始まった。オーストラリア・ラグビーリーグの創設時から存在するクラブの一つは今も“ラビットーズ”という名前だが、これはウサギの皮剥ぎ人が街を行商して歩くときの呼び込みに由来する。

 1940年代にはウサギの推定個体数が8億匹に達し、国はウサギ1匹あたり1豪ドルの損害をこうむっていた。ウサギは特に地元の動植物に壊滅的な影響を与えている。オーストラリアの南海岸の沖に浮かぶある島では、1906年から1936年にかけてウサギが生息したことにより、オウムの3つの種すべてと、この島の樹木26種類のうち23種類が消滅した。他の地域では、ウサギの出没の直接的な結果として、哺乳動物の在来種の66~75パーセントが姿を消したと推定されている。

ウイルスを用いた駆除も

 1950年代に、感染性の高い粘液腫(ミクソーマ)ウイルスを導入することでオーストラリアのウサギの約95パーセントを処分した話は有名だ。しかし、それでは十分でなかったことがのちに判明する。残りの5パーセントがその免疫を獲得したため、元の木阿弥となったのだ。

 しかし1996年以来、物議をかもすカリシウイルスの導入により、個体数は再び減少に転じている。にもかかわらず、シドニーの北西の郊外はいまだにウサギの集団に悩まされており、相当な物的損害や、住民がウサギの巣穴に落ちて重傷を負うなどの被害が報じられている。

 オースティンは立派な大邸宅を建て、繁殖させた競走馬は勝利を収めた。地元の事業への寄付も行い、メルボルンには今も彼の名前を冠した病院がある。しかし、オースティンは大豪邸の完成を待たずに亡くなった。皮肉なことに、かつての皇帝ネロと同様、自らがもたらした荒廃の上に、素晴らしい建物を作ったのだった。

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