第3回 “邪魔者”コウノトリの野生復帰はなぜ成功したのか

 ぼくは、近未来に実現するかもしれないツシマヤマネコの野生復帰について知りたくて羽山さんにお話を聞き始めたわけだが、実は、羽山さんの個人史を知ることが近道になるかもしれないと気づいた。

日本の野生動物のさまざまな問題に長く携わってきた羽山伸一さん。
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 1980年代初頭に学生時代をすごした羽山さんは、自然環境保護の意識が勃興するさなかにキャリアを築き始めたという意味で、絶滅危惧種をいかに扱うか社会の変遷をまさに体験してきた。今や伝説になっているような世界の野生復帰計画も、80年代に実質的に始まったものが多く、日本で野生動物の問題と格闘しつつ、常に関心を抱いてきたのではないかと推察する。

「僕は神奈川県出身なんですが、北海道みたいな田舎で暮らしたいと思って、帯広畜産大学の獣医学科に進学しました。たまたま知り合った帯広動物園の園長さんにさそわれて、地元の希少動物の調査活動で襟裳岬に行ったら、絶滅が心配されているゼニガタアザラシを、漁師さんたちが害獣扱いしていて。これは何とかしなくちゃいけないと思ったのが始まりです。海外でもゼニガタアザラシはやはり絶滅が心配されていて、どうやって回復させているのか調べていて、アザラシ病院というものが1930年代からあったと聞きました。で、帯広動物園にお願いして救護施設をつくりました。絶滅危惧種って、とにかく1頭1頭が大事なんで、獣医はその1頭の命を救える仕事だと、当時、非常に狭い考えでしたけどそう思ったんです」

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 羽山さんが野生動物、それも絶滅危惧種の保護の必要性と難しさにふれた瞬間だった。当時、ゼニガタアザラシは日本で200頭くらいにまで数が減っていたにもかかわらず、地元の漁業者にとっては「害獣」で、保護の方策はまったく立てられていなかったという。羽山さんは、獣医として、傷ついた1頭1頭を救うことにまず尽力した。

 野生動物の獣医。

 当時、そのような方向性を学生が志しても、ふさわしい進路はなかなか用意されていなかった。まず思いつくのは動物園獣医だが、これは毎年求人があるわけでもない。羽山さんは動物園獣医の就職先を探したもののうまくいかず、まずは公務員獣医になっている。