海に沈む、干上がる――漁港の街の悲しき今

米チェサピーク湾の満ち潮に抗うホーランド島の最後の家。2010年10月撮影。(写真:baldeaglebluff)
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 自然の大きな力に、人類が抵抗することは難しい。いわんや自然を思いのままにコントロールすることなど、どうしてできようか? ナショナル ジオグラフィックの書籍『世界の果てのありえない場所』には、自然の猛威によって消えた街、あるいは人類の浅はかな行動によって失われた村など、廃墟と化した土地の数々が登場する。今回はその中から、「ホーランド島」と「ムイナク」を紹介しよう。

海に沈んだ漁業の島

 チェサピーク湾は、米国はメリーランド州のハバードグラスからバージニア州のノーフォークまで、322キロにわたって細長く広がる河口域だ。湾内の大部分は水深が浅いが、それでも最深部は18メートルほどある。

 問題は、この100年間に潮位の上昇と沿岸の浸食が進んだこと。以前は陸続き同然に行き来できたはずの場所が、そうではなくなってしまったのだ。メリーランド州のあちこちに壊滅的な問題を引き起こすようになった。

 ホーランド島は、メリーランド州の沖合に浮かぶ、長さ8キロの細長い島である。ここには、1600年代の終わりにヨーロッパからの開拓者が定住した。島の名前は初期の移住者ダニエル・ホーランドに由来する。堤防や干拓で有名な、北ヨーロッパのあの国と関係はない。だが、この島の悲惨な現状を見れば、その名前はほとんど皮肉にしか思えない。2013年以降、ホーランド島は完全に水没してしまったからだ。

 しかし、そうなるまでには、水と果敢な戦いを続けたある人物がいた。スティーブン・ホワイトだ。結局は努力のかいなく敗れたが、島に残っていた最後の家と2つの墓を水没から守るため、ひたひたと迫り来る波と20年近くにわたる奮闘を繰り広げた。

 ホーランド島が最も賑わっていたのはビクトリア朝時代末期のことだ。20世紀に入ったばかりのその頃、島には東西の海岸に並行して走る2本の道沿いに60軒の家が建ち並び、360人が住んでいた。島民のほとんどは漁師で、湾内で豊富に獲れるカキやカニ、貝類や海鳥を売って生計を立てていた。ちなみにチェサピークという地名は、先住民アルゴンキン族の言葉で「貝がたくさんいる大きな湾」という意味だ。貝類は今でもメリーランド州の名産品である。

 だが、ホーランド島の漁業の繁栄は文字通り砂の上に築かれたようなものだった。湾内の他の島と同様に、ホーランド島の地盤は岩ではなく沈泥と粘土でできていたのだ。1915年には異常ともいえる速さで浸食が進み、人々は島を去っていった。15年もしないうちに、島に住むのはペリカンとアオサギとアジサシだけになってしまったが、墓地とわずかに残った建物を手入れするために時々管理人が通っていた。

 1940年代にその仕事をしていたのがホワイトの伯父だった。まだ少年だったホワイトは伯父について島に行くのが楽しみだった。伯父が打ち捨てられた家を修理したり、漂着物や流木を拾い集めている間、ホワイト少年はロビンソン・クルーソーごっこをして遊んだ。